第5話
決着の紅白戦





三塁ベンチに戻ってきた逆転の立役者を誰も歓迎しない。単純に誰も彼を知らないのだから当然と言えた。

「いやー、助かったよ。流石は僕の切り札だ」

「・・・任務を遂行するだけだ」

声を掛けた政明にすら短く、小さい声でそう言った。一方の陣はしばし呆然としていた。

「あれがオーナーのジョーカーか。文字通りの“切り札”って訳だな」

舌打ちをしながら不破が言った。だとすれば陣の投入タイミングを完全に間違った事になる。相手に切り札を切らせてから投入するべきだったのだ。

「どの道逆転はされる事にはなるが、それでも良かった。肝心な陣が先発としてやって行く上でもここで自信を失わさせる訳には行かなかった・・・」

クロードの負傷退場から微妙に不破の策は狂っていた。それでも励ましにマウンドに向かわない。

「打たれたのなら仕方ない。あれで自信を失ったとしたら、この試合で取り戻させるしかない」

動揺した陣は空閑にヒットを許し、亮太郎には左中間に大飛球を打たれた。

「あの人にまで好きにさせる訳に行くか!」

不破は打球を追い、走る。何とか打球が地面に落ちる前に処理する事が出来た。ようやくチェンジになったが、9―10と試合は引っ繰り返った。

「スイマセン、不破先輩」

「謝る位なら次を抑える事を考えろ」

陣を不破は突き放す。逆転されたスコアと打順を確認する。

「残りイニングで再逆転、もしくは同点か・・・」

この回から紅組は途中から3番に入っていた葉山の所に池田を入れ、マウンドに立たせた。

「この回を池田、最終回を都さんで切り抜けるつもりか」

対するこちらは9番から始まるものの、トップに戻る事を考えるとあながち不利とも言えない。

しかし、クロードの打順に石丸・陣と入れていた。投球に専念させる為、打撃を放棄させた。荻原もサードゴロで八回の攻撃は終了してしまう。

その直後、陣は湊との対決を迎えた。

「兄ちゃん達と高校時代に死闘を演じた天才バッター・・・。対戦してみたかった」

この打席に関して不破は敬遠を指示していない。ヒットも四球も塁に出ると言う意味では同じだからだ。

初球はやはりストレート。打てそうなコースだったが、わざと見逃した。

「確かに速いな。これを奴は打ったのか」

チラりとベンチの外国人を見ると視線をすぐに戻した。2球目は陣が変化球の中では一番自信を持っているドロップカーブだ。

アウトローに決まったそれを湊は再び見逃した。まるで1球あれば充分と言わんばかりだ。

「龍堂センセ、あの二人って似てなくない?」

「お互いがお互いにと言う事ですか?」

双方のベンチから退いた二人は観客席に移動していた。

「そうじゃなくて、イチローと松坂の対決に似てないか聞いてる訳」

龍堂は答えに迷った。似てなくもないが、それ程似てるとも言い難い。

「だとしたら湊は三振になりますけど?」

取り合えず似ていた場合の結果を先に言った。話を振ったはずの政明は逆に慌てる。

「それはマズい。1人出ないとレオンに回らない」

初めて外国人の名を呼んで湊が塁に出るのを祈った。

「鋭い変化球は兄譲りか。確かに非凡だな」

湊に褒められて悪い気はしないが今は敵である。

「もう打たれたくありませんから・・・行きます!

陣は全神経を左腕に集中する。ワンバウンドになろうかと言う程の軌道だが、そこから急激にホップして来た。

更に彼の最速は149キロだ。しかし、湊の目にはそれ以上のスピードに映った。


ブォン!


バットはボールの上を掠めて空を切った。

「先輩・・・それでも今の球はまだ伸びてないって事ですか」

ノビのあるボールの上を振ると言うのは打者にとって、あまりノビてなかった事になる。

「いや、最高だったさ。猪狩のライジングキャノンと見間違えるくらいにな」

湊は違うと分かってはいたが、ライジングキャノンを振るつもりでスイングしていた。

「俺が去年、紅白戦で対戦した時はライト線にツーベースを打たれた。相手は首位打者、自信を持って良い」

不破はそう言ってグラブを預け、そのままネクストバッターズサークルに向かった。









マウンドには予想通りに都が上がった。森坂が初球を打ち上げ、キャッチャーフライに終わると不破が左打席に入ろうとする。

「斉藤さんは期待出来ない。だとすれば・・・」

自らが突破口を開くしかない。足場を馴らしながらヘルメットをいじる。

「俺も切らせてもらう・・・。切り札をな!

足を高く上げ、タイミングを合わせるかのように二度、ステップを踏む。変化幅の大きい方のスクリューを捉え、打球が二遊間を抜く。

「参考までに高橋由伸の打ち方を試してみたが・・・」

結果は上々だろう。最も、交流戦でしか使う予定はないが。斉藤は空振り三振に倒れてツーアウト。

『6番、ショート相羽 背番号2』

不破の、陣の、他の仲間の期待を背負い、相羽は打席に立つ。すると、湊がタイムを取った。そのまま都に近寄る。

「都、本物のグライドスワローを投げないか?」

「いきなりそんな事言われても・・・」

戸惑う都に湊は続ける。

「ライオンズに友光がいる。アイツは俺しか狙わないし、それは承知の上だ」

「・・・・」

俺はアイツに勝つ!アイツがどんな事をしようと・・・」

湊の語気が一段と強くなる。

俺は過去を振り払う!だからお前も秀に勝て!過去を振り払う為に必要なのは・・・」

「分かってます。その先は」

湊の決意を聞いて、あれだけ亮太郎が言っても無駄だった都も遂に折れた。

「投げるよ。あの人に勝つ為に・・・」

タイムを解いて湊はサード守備に戻る。プレイの声が聞こえた。 都の身体が沈む。地面スレスレから放たれるボールは上昇軌道を描く。

ど真ん中だって!?

リリーフエースが失投する訳がないと思いつつもバットを振る。すると、ボールは相羽の目標を両足に定め、急変化する。

うわっ!?

身の危険を感じ、スイングは二の次にして避ける事だけに専念する。その甲斐もあり、紙一重で当たらなかった。

「あの球はひょっとして・・・」

不破が大声で、「タイム!」と叫んだ。それと同時に一塁を離れ、相羽と合流する。

先輩!あんな球があるなんて知りませんでしたよ!

「それはそうだ。俺もたった今、初めて見たばかりだ」

文句を冷静に返す。

「記憶力の良いお前と中継ぎとして都さんに繋ぐ仕事をしていた俺の両方が知らないんだから答えは一つ。あれは真のグライドスワローだ」

右打者のインハイの球が一気にアウトローまで変化する球。それがかつて都がウイニングショットとしていたグライドスワローだった。

「はっきり言う。今の時点であの球を打てるのは一番多く見て、一番間近で受けてた二宮さんか・・・あの人だ」

不破はサードを指さす。視線を移すと相羽は思わず吹き出した。

「大人しく三振しろって事ですか?それとも俺に湊先輩になれとでも?」

「早とちりをするな。方法がないとは言ってない」

相羽の額をパコンと小突く。

「取り合えず俺がグライドスワローの威力を数%抑える。後は・・・」

「後は?」

生唾を飲む相羽のヘルメットを外し、バットを奪う。不破がバットで頭を殴った。地面にうつ伏せに倒れる相羽。首尾は上々と言った感じで笑う不破。

・・・突然殴るなんて!しかもバットで・・・」

すぐに復活する相羽。それに舌打ちをしながら、「しぶとい奴だ」と吐き捨てる不破。

「どうだ?都さんが今まで投げてた配球を見事に忘れたか?」

相羽は少し考えた。おそらくは都の配球を思いだそうとしてるのだろう。だが、幾ら探しても思い出せなかった。

「ええ・・・誰かさんのお陰で」

落ち込む相羽を上機嫌になった不破が励ます。

「よし、イチバチだったが上手く行った」

「?」

ここでようやく不破の種明かしが始まる。

「お前が凄いのは投手の配球を全て覚えていると言う記憶力だけだ。しかし、構造上に重大な欠陥がある」

不破が人差し指を立てて、説明をする。

「その1、相手の全配球を検索する為、初球をほぼ100%見逃す。ど真ん中まで見逃すから投手としてストライク一つ分丸儲けできるのは有り難い」

中指も出し、数字の2に見立てる。

「次に変化球を数多く持つ投手に弱い。例えば、都さんは4つ変化球を持ち、それを使って三球三振を狙う場合の配球パターンは4×4×4で64。

4球使うなら更に4を掛けて254、5球なら・・・と言った具合にパターンが増える。その全てを覚えるのは実際には不可能だ」

心なしか相羽の頭から煙が出ている気がした。

「自分自身の能力を把握できないのか」

頬を引っ叩いて最後の理由に行く。

「3つ目、これが一番大きい。お前は記憶に残ってる球を意識して打つようにしてる為、自分の想像以上の球が来た時は100%打てない」

これは陣と対戦した時に相羽自身が証明していた。

「お前でも絶対に配球が読めない投手がいる。配球を読まれても打てない投手がいる。そんな投手を相手にして打てる自信はあるか?」

因みに前者は岩井大輔、後者は龍堂友光が代表格と言える。

「・・・打てません」

自分の経験を元に言っただけだが、あまりにも不破の指摘が的確過ぎた。

「配球を覚える為の記憶力に神経を使う位ならどんな球が来ても捉えられるように神経を集中しろ」

ヘルメットを被せ、打席に送り返してから一塁ベースに戻る。

「それぞれの役割を果たせば、必ず点は取れる」

二人の気持ちは一致していた。都がセットポジションに入り、不破の方を見る。そして、身体が沈み始めた。

今だ!

左投手だった為、不破が走るのが見えた。一瞬だけ気を取られ、ボールを放すのが遅れる。

「不破先輩が言った数%抑えるってのはあれの事か!」

不破は不破の役目を果たした。後は自分の仕事だ。

「集中・・・来た球だけを捉える!

アウトハイから急激に落ちる。相羽が狙うのは対角線上の先のインローに来た時だ。


ガシッ!


鈍い音だったが、打球がフラフラっと右中間に飛んだ。

亮太郎、小金井追え!

二人が追って行く。その間に不破は二塁を蹴って三塁に向かう。

「不破の奴、あんなに速かったか?」

双方のベンチからそんな声が漏れる。不破と言えばチーム一足が遅い。走った事を抜きにしても去年より明らかに速くなっている。

「雪の上に比べれば土の上なんて走りやすい位だ」

湊の守る三塁も蹴った。打球はようやく失速し、落下してくる。 打球はフェンスに当たり、グラウンドに戻った。

送球しようと振り返ると、ホームに向かう不破の姿が目に入り、中継のショートが×の字を作る。

「投げても無駄やってかい・・・」

相羽が二塁ベース上で右手を挙げてガッツポーズを見せる。歓喜の白組ベンチにあって、ホームを踏んだ不破だけはいち早く冷静になっている。

「陣、あの男に勝ちたいか?」

暗にホームランを打った謎の外国人を指して言う。

「・・・勝ちたいです。負けたままじゃ嫌ですから」

「そうか・・・」

不破はキャッチャーの原田と相談しに立ち上がった。都がさっさと後続を断ったので、陣は何を話してたのか分からない。

兎に角、最終回のマウンドに向かう。

「・・・え?」

なかなか原田が出てこないので気になっていたら、用具一式を装備した不破が出てきた。

「いやいや、何してるんですか?」

陣の疑問は最もだ。原田は不破の代わりにレフトに走る。

「着けたのは初めてだが、アイスホッケーに似てはいるな」

着けたのが初めてだと言う事はキャッチャーをやるのも初めてだ。

「よく、左利き用のキャッチャーミットがありましたね」

「こんな事もあろうかとな。万一に備えてグラブは全部揃えていたんだ」

この先輩には頭が下がる。そんな気が陣はしていた。

・・・勝つぞ、陣!

はいっ!!

陣は大きく頷いた。









先頭バッター小金井相手に簡単に追い込むと外に逃げるスクリューで三振、続く真坂を2球でショートゴロに仕留める。

「さて、終わらせるならこの今井が最適だ。しかし・・・」

視線をやると、例の外国人がネクストバッターズサークルでスタンバっている。一応、相談しにマウンドに行く。

「歩かせるか?」

「ええ、そうしましょう。あの人に勝ち逃げされたくありません」

セットポジションでの勝負になる為、それに慣れる意味も含めて、セットに切り替えて今井を歩かせる。

「オーナー、そろそろ彼が何者か教えても良いのでは?」

「そうだね」

龍堂に軽く答えると政明は立ち上がった。

「彼はご褒美さ」

「ご褒美?」

「そ。一年目、それもソフトバンクのように流用じゃなく、ゼロからチームを作ってAクラスだった君が更に上を狙えるように。

一番欲しかったホームランを打てるバッターのプレゼントさ」

人を物扱いしてる気がするが、口に出したら怒りそうなので敢えて黙っておく。

「彼の名前はレオナルド・ヴィンデル。口数こそ少ないけど与えられた役割はきっちり果たすよ」

一塁に歩く今井を見ながら政明はほくそ笑んだ。

「最後の勝負だ。僕のジョーカーに勝てるかな?」

レオンはさっきと全く同じように打席に入った。

「・・・確かに陣の言った通り、変な感覚がするな」

投手の本能が危険信号を出してる事に気付く。

「表情から狙い球を探るのは無理だな」

探るなら強引にやるしかない。そう考えた不破はサインを出す。

「インハイにビーンボール紛いの球・・・」

「ああ、右打者にとっては対角線に向かって来る球だ。人間である以上は何かしらの反応がある」

一歩間違えば死球になるコースだが、陣のコントロールを信じた。


ボール!


放たれた球を一切のリアクションも取らずにレオンは見送った。

「・・・・」

サインを出した不破に文句も言わずに構え直す。

「オイオイ、無反応はないだろ・・・。感情無いのかよ」

次のサインはアウトコースからストライクに入るドロップカーブ。インハイに直球の後にアウトローに変化球は王道だ。

「・・・!」

一瞬だけピクリとバットが動いたが、捕球するので精一杯の不破はそれに気付かない。

3球目は高速スライダーを外角に入れ、4球目は内角にスクリューを外す。そこまでしてから再びマウンドに不破が行く。ついでに相羽も呼ばれた。

「初球が無反応だった以外は概ね良好だ。相羽、お前なら次は何が来る?」

「ベルトラインへのストレート」

相羽が言うのならそれがこのカウントで陣が一番多く使う球なのだろう。

「よし、じゃあ決め球はサークルチェンジにしよう」

「・・・ハイ?」

投げた事のない球を要求され、陣は聞き間違いじゃないのかと聞き返した。

「握りは人差し指と親指で輪っかを作って・・・」

どうやら不破はこの場で陣にサークルチェンジを仕込むつもりらしい。身振り手振りこそないが、かなり的確に教えている。

「そう言えば不破先輩の決め球はサークルチェンジの派生球か・・・」

ボンヤリそんな事を考えてたら、「ちゃんと聞いてるのか?」と、怒り口調で言われたので、慌てて「聞いてます」と、返した。

「でも、そう簡単に変化します?付け焼き刃って危険じゃ・・・」

相羽が水を差すので不破は用済みとばかりに蹴りを入れて追い返す。

「煩いんだよ。これでいきなり投げられたら俺が困る」

「だったらどうして教えたんですか?」

「こんな球もあると思わせるだけで良い。決め球は2―3からのストレートって最初から決めている」

肩を叩いて不破は持ち場に戻った。セットポジションから小さく足を上げる。指から離れたボールはゆっくりと進み、ホームベース手前でワンバウンドした。

「・・・・」

これも微動だにせずに見送った。フルカウントで出されたサインは、

「全力で来い」

陣は心の中で頷いた。

「もう一度・・・。湊先輩相手に投げたあの球を・・・今度こそ!

前の対戦で投げたくても投げる事が出来なかった球。前回と同じ結末にならないかと思ったが、不破の「全力で来い」がそれを打ち破った。

投げてと投げられなくても関係ない。今は全力投球をするだけ。結果はその先に出る。

陣の左腕から放たれたストレートはアンダースローの投手が投げたんじゃないのかと思う程低い。

しかし、そこから急激にホップする。低めから真ん中、真ん中から高めへと軌道が上昇した。

チィ!

レオンもダウンスイングで対抗する。それでも狙うのはホームラン唯一つ。例え、とんでもないホップボールであってもだ。

鈍い音を発したボールはフラフラと上がる。

先輩!

打球の先を指さされて不破が追う。マスクを着けたままで・・・。

マスク外さないと見え難いですよー!

「心配要らん。野球に出会わなかったら、今頃俺はトリノの表彰台にいたはずだ。

時速200キロで飛んでくる小さいパックが取れて、重力に従って落ちてるだけの球が取れない訳はない!」

少し自意識過剰な言葉もあったが、難なくミットに収める。と、同時に審判がゲームセットを告げた。

「引き分けかぁ・・・」

延長戦に入らないのを悔しがる相羽に他の野手が同意する。もう少しやれば勝てるとでも思っているのだろう。

「ったく、気楽な奴らだ。紅白戦程度で・・・」

ふと、視線をやると緊張の糸が切れた陣が倒れている。不破は冷静に判断を下す。

「ま、それだけ体力を使う球と言う事か。試合では3球が限度、それも自由に使いこなせる訳じゃないと」

倒れてる陣を抱え、起こしたのは以外にもレオンだった。

「・・・世話になる」

白組リーダー不破に握手を求める。

「入団って事か?」

「・・・・」

無言での頷きは肯定のサイン。少し含む物があったが握手に応じた。









その日はそれでお開きとなる。明日まで何をして過ごそうかと考える面々の中で不破は監督に呼ばれ、部屋に来た。

「お前から見てどうだった?」

「相羽は空いてるポジションを考慮すればショートしかないでしょう。その辺を含めて、途中からショートを守らせましたが、適正はBです」

不破の手元には報告書として纏めたノートがあり、更に読み進める。

「陣は本人の意思を最大限に尊重する方向で。ただ、先発に関しては体力等の問題があるので球数制限を設けた方が良いかと」

龍堂は不破のノートを回収した。退室する不破を見ながら視線をもう一冊の報告書用ノートに移す。

「レオンは守備と打撃を考え、外野とします」

筆跡は湊のモノだった。それぞれを見比べながら、次はどんな指導をするべきか龍堂は考えを巡らせていた。




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