宮崎県日南市
西武ライオンズのキャンプ地である。ここに彼はいた。いつもと同じようにベンチで練習もせずに寝ていた。
「好きな時に好きなだけ投げる。練習も同じだ」
キャンプイン初日にほとんどが初対面のライオンズメンバーに向かってそう言った。
数日経った今でも終日ベンチで眠りこけ、練習どころかコミュニケーションすらしない始末である。
豊田・森と言った投手が抜け、先発の果たす役割が更に重要になるのにこれではあんまりだと伊東は思った。
「あ〜〜良く寝た」
友光が目を覚ます。時計を見るとまだ短い針が1を指していた。
「・・・二度寝しよ」
置いてあった県産品のトマトを丸かじりしてから眠りに入ろうとした。
「寒ぃ・・・」
ベンチは日陰なので風が吹けばそれなりに寒い。仕方無しに暖かい所を求めてブレザー片手にベンチから出た。
「ま、ここなら日没まで日が照るだろ」
センターフェンスに寄りかかり、ブレザーを掛け布団代わりにお昼寝タイムに入った。
「柚木さん、あの人はどうにかならないんですか?」
「無理無理。友チャンをどうにかできる人がいたら尊敬しちゃうよ」
不破の同輩であるアレクセイの問いにあっけらかんと柚木は答えた。
「そんな悠長な・・・」
二人の目に友光に向かって歩く和田の姿があった。隣にはカブレラと中村が付き添っている。
「いい加減にしろ!チームの和を何だと思ってるんだ!」
「和?輪か?そうだな・・・ドーナッツかバームクーヘン」
因みに寝言だ。神経を逆撫でされた和田らは強引に友光を起こす。
お昼寝タイムを邪魔された上に低血圧なのも相まって、稀に見る不機嫌状態で友光は起きた。
「五月蠅ぇ!沙悟浄と猪八戒とデケぇ孫悟空」
それでも半分寝ぼけてたらしく、集まった三人を西遊記扱いした。
ズイっと前に出たカブレラの影で友光が隠れる。ゴリラのような孫悟空相手に友光は腰を上げる。
「やるってのか?その丸太みてぇな腕は飾りじゃねぇ事を見せてみろよウドの大木が!」
大男に対する万国共通の挑発文句を放って、相手のアクションを待つ。
案の定、ラリアット気味のパンチを放つカブレラの腕を難なく掴まえる。解こうとしても友光の力が強いのか振り解けない。
「オイオイ、俺様を振り解けなくてよく55本もホームラン打てたな。落合の三冠王三回もこっちのリーグだし、レベル低いんじゃねぇのか?」
チームどころかリーグ全体を敵に回しそうな勢いだ。
掴んだ腕を右手で引き寄せ、胸ぐらも左手で掴む。自分の背と相手の胸をくっ付けると、思い切り持ち上げる。
カブレラを空中で回転させて地面に叩きつけたその技の名前は一本背負い。知らない日本人はいない程のポピュラーな技だ。
「喧嘩なら相手見てやれよ。少なくとも俺様はそう言った類じゃ15年間負けた事はねぇ」
欠伸をしながら居心地悪いとばかりにその場から離れた。すると、止せばいいのに柚木が寄って来る。
「友チャン、もしかして北京狙ってるとか?」
「んな訳ないだろ。柚の字」
互いに変な名前で呼び合っていた。端から見れば凄い違和感がある。
「ったく、中日に入った時と同じ事しなくちゃならねぇようだな」
「何を?僕は大ちゃんから聞いた事ないけど・・・」
「身内の恥を言う訳ないだろ」
真っ直ぐ伊東の所に向かう友光。
「オイ、伊東」
いきなり呼び捨てだ。落合すらオッサン呼ばわりだからなんの不思議もないが。
「明日、シート打撃でレギュラー陣と勝負させろ。お前らが勝てば従ってやっても良い」
完全に相手を見下した言い方だ。だが、文句を言う奴に対しては実力で叩きのめす彼らしいやり方でもある。
ただ、彼の球を捕るキャッチャーがいない事を除けば・・・。
「最悪、柚の字に頼めば何とかなるか」
ブルペンの脇を歩く彼の目の前をボールが転がる。続いてそれを追いかける人物が横切る。
「球拾いか。ご苦労なこったな」
球拾いにしては様子が違う。背中に番号が振ってある。つまりは同じライオンズの選手だ。
「・・・通行のジャマ」
そう思い、蹴り飛ばす。のたうち回る球拾いを余所にブルペンの様子を伺う。松坂や西口等に並ぶようにして女性投手が投げ込みをしていた。
「あの女・・・まさかな」
心当たりがあった。湊達、流光学園の仲間でも知らない。
大震災以降、野球を辞めたはずの彼が高校時代に再び始めた理由、心底憎んでいた湊と手を組まざるを得なかった最大の理由が。
「彼女の訳がない。あの娘は・・・」
足早にその場を去る。それ以上そこにいるとどうにかなりそうだった。
長崎県島原市
紅白戦を終えたウイングスは普通のキャンプに移行していた。その日の練習も終わり、それぞれの自室にいると不破と陣の部屋に相羽を始めとした連中が来た。
「お前ら、ガキじゃないんだから早く寝ろ」
不破はドア越しに追い返そうと試みたが、相手の数に敵わずに圧し負ける。
「就寝まで時間あるから大丈夫だって」
そう言いながら森坂が押し通る。続いて相羽やクロードにレオンまでいた。
「寝るまで暇だし、トランプでもしましょうよ」
相羽の手にはトランプがある。それを見てニヤリと不破が笑った。
20分後
「オラ、今度から賭事は相手を見てしろ。服とかは朝になったら返してやるよ」
乗り込んできた4人が4人とも下着のみを残して身ぐるみを剥がされている。
「・・・ってかロイヤルストレートフラッシュが3回続けて出るか?」
「でもイカサマやってた風には見えませんでしたね」
「・・・・」
「部屋に戻りまショー。風邪引いたらボスに怒られマース」
すごすご引き下がる4人に対して、部屋の人物と言えば。
「未成年相手じゃ金巻き上げられないし、服とかしかないわな」
「はぁ・・・」
不破の足下には服が積み上げられている。
「お前も覚えておけ。打者との勝負は速球や変化球も大事だが、駆け引きも重要だ。それを養うには経験を積むしかない」
すっくと立ち上がるとドアに手をかける。
「今の時間に何処に行くんですか?」
「やっぱり金が懸かってない勝負なんか面白くないからな。星野さんトコに行って巻き上げて来る」
寝ろと言ってたが、相羽達が来て一番嬉しかったのはこの人何じゃないかと陣は思った。
その頃、一人だけ宿泊ホテルの中庭で素振りを続ける選手がいた。誰でもない湊である。
彼だけは通常の練習メニューとは別に自ら考えたメニューを平行させて行っていた。
「まだだ!まだこの程度じゃアイツは倒せない・・・」
チームを優勝に導くのと同じ位に友光を倒すのは重要な事だった。
「勝たなきゃいけない。アイツが過去に・・・彼女に拘ってる限り、俺は負ける訳にはいかないんだ!」
素振りを続けるが、折しも雨。おまけにみぞれ混じりの最悪のコンディションに変化する。それでもバットを振る。唯一人の男を倒す為だけに。
「何が『有り得ない』だよ。一局で役満2回、跳満3回しただけじゃん。振り込む方が悪いっつの」
万札を数えながら歩いていると向こう側からも誰か歩いてくる。巻き上げた金を急いで隠すと声を掛けた。
「こんな時間に何してるんですか?」
人の事は言えないおかしいセリフだ。
「それはこっちも聞きたいけど時間がないの・・・。湊くん見なかった?」
「見てませんね。部屋にいるんじゃないですか?」
立ち止まり都の話に聞き入る。
「それが・・・。さっき行ったんですけどいませんでした」
「変ですね。ホテル内は自由行動出来ますけど外出は禁止だから外には出てないはず・・・」
ふと、中庭から物音が聞こえた。二人はもしやと思い、走る。中庭を隔てるドアを開くと冷雨に打たれて倒れる湊の姿があった。
「太一くん!?」
「俺は監督呼んできます!」
駆け寄る都も呼びに行く不破も動揺していた。
「発熱ですね。風邪は引いてませんが二、三日は安静にして下さい」
処置を終えたチームドクターは部屋を出る。不破と都も不安ながらも龍堂を残して退室する。二人だけになったのを確認してから龍堂は椅子に座る。
「起きてるんだろ?」
今まで眠っていたはずの湊はその言葉で目を覚ました。
「すいません。チームに迷惑を・・・」
額に乗せてる氷嚢を外すして起き上がる。
「湊、静岡に戻れ」
不意を突いた言葉に一瞬戸惑う。
「どうしてですか?熱ならすぐに下がりますし、WBCにも呼ばれてますし」
「皆と同じ練習をこなし、夜中に別メニュー。そんな事を続けて身が持つと思うのか?」
「持たせてみせます」
明らかに強がりだったが、そう言うしかない。
「無理だ。身を削った状態でアイツに勝てるか?」
彼の息子、友光はそんなに甘い男ではない。それは湊自身がよく知っている。
「奴に勝ちたいと思うなら静岡に戻って体調を万全にして、専用のメニューだけをこなせ」
「でも、キャンプやWBCは・・・」
「お前が倒れた事を知ってる不破と都以外には自主練中にケガしたと発表する」
それで良いのかと言いたい湊だが、無理をしている自分が言う資格は無い。
「勝ちたいなら静岡に戻れ、か・・・」
チームを取るか自分の意地を取るか、選択を迫られる。
「どの道友光を打たないと勝てないのには変わりはない。だったら・・・」
静岡に戻る。
そう、決断した。
「チームには更に迷惑掛けますけど、抜けます。後をお願いします」
「ああ、王さんには代わりに河内を召集するように言っておく」
翌日、龍堂は取材に来た報道陣に対して、
「湊が自主練中に右肩を脱臼して全治二ヶ月、開幕に間に合うかどうか微妙だ」
と、語った。無論、不破と都には堅く口止めしている。
「奴がケガ?ハッ、馬鹿馬鹿しい」
情報を伝えられた友光は江藤を三振にしつつ、鼻で笑った。
既に中村・中島・石井義・細川・赤田・栗山が三振に終わっている。残りは友光と親しい柚木を除けば和田とカブレラのみだ。
「沙悟浄とゴリラか・・・。手加減しても楽勝だが、どっちが上か分からせないとな」
トルネードが吼える。ボールは和田のバットに当たったと同時に中に食い込む。最終的に根本でバットをへし折り、ミットに収まる。
「マウンテンゴリラ、手前ぇも俺様の“龍”の餌食にしてやるよ!」
暴君は柚木以外の全員を三振に抑える結果を出してマウンドを降りる。
「これで分かったろ?分かったんなら開幕戦のマウンドを用意しておけよ」
伊東をせせら笑う友光。この調子だと開幕投手すら松坂から実力で奪いかねない。
「どんな状態だろうと勝つのは俺様だ」
龍は突き進む。
己が信じる道をただひたすらに。
邪魔する奴は味方であろうと全て敵と見なして。
その夜、友光は朝比奈を呼びだした。朝比奈も聞きたい事があり、何の疑いもなく指定された場所に来る。
「友光さん、話って・・・」
暗闇の中から友光も見つけ、朝比奈は駆け寄った。
「ああ、話って言うのは・・・」
有無を言わさず首を掴んだ。その勢いのまま、ヤシの木に朝比奈を打ちつける。左腕とヤシの木で挟むように朝比奈の首を絞める。
「何故、お前がここにいる。答えろ!七海」
彼女と違う名を呼んで更に締め付ける。反論しようにも声を出せない。
「貴様がいれば俺は惑う!何故今更俺の前に現れた!!」
自分勝手な言い分を撒き散らす友光の目は本気で絞め殺そうとする目だった。
「友チャーン、みっつんが今日の事で打ち合わせがあるってさ〜!」
遠くから柚木の呼ぶ声がする。見られたらマズいと、友光は左腕を離した。
「ゲホッ・・ゲホッ!」
首を押さえ、訳が分からないながらも友光を睨みつける。
「わ、私は七海って言う人じゃありません。私は・・・朝比奈成実です!」
無言で立ち去る友光は心の中で呟く。
「そうだった。彼女は七海じゃない。あの娘は最後の夏に・・・」
朝比奈の姿に重ねていた自分を恥じた。
「どれ程時を掛けようとも誓った約束は果たす。必ずだ!」
それこそが彼の偽らざる本心だった。
龍は飛ぶ。
果てしない高い空を登るように。
凰は舞う。
肌寒い寒風から暖かい春風に変わる南国の空に。
互いを倒すべき敵として。
勝負は確実に迫っていた。