第8話
鳳龍相剋





「これって去年のビジターユニフォームとは違いますね」

「ああ、去年はホームよりもライト色が強い色だったが、もう替えるみたいだな」

不破と相羽が手にしてるのは新しく支給されてるビジター用ユニフォーム。

これは全身藍色に帽子だけが白色と言う姿である。オーナーの政明自らがデザインしたこのユニフォームのイメージは、静岡の象徴とも言うべき富士山だ。

同じブルー系のライオンズと被るのが心配されたが、問題無いと政明が一蹴していた。

「陣、ブルペン行くぞ。開幕戦とは言え、出番があるかも知れないからな」

「分かりました」

真新しいユニフォームを背に、陣を引き連れてブルペンに向かった。









一塁側ベンチ


「ト〜モチャン」

今日の友光は普段と違い、試合前の惰眠を貪っていない。ただし、柚木の声にも答えずに黙って座っている。

ト〜モ〜チャンってば!

不毛な気がしたが、もう一度呼んだ。やはり返答がないので、言葉を変えてみる。

「あ、ミナティーだ」

何だと!

思わず反応した友光を見て柚木は笑う。

「反応するのは湊君関連か。試合前だからってイケずにも程があるよ?」

「さっさと用件を言え」

不機嫌な彼で遊ぶかのように勿体付けてから訊ねる。

「ホントにみっつんで良い訳?」

「トロい一文字やたまごっちみたいな名前の奴よりかはましだ」

立ち上がり、グラブをはめる。威風堂々とマウンドへ歩く横で柚木が観客に向かって手を振る。


静岡ウイングスオーダー

1番セカンド 森坂
2番センター 山本亮
3番レフト レオン
4番サード 湊
5番ファースト 斉藤
6番指名打者 遠藤
7番ライト 小金井
8番キャッチャー 今井
9番ショート 神野
ピッチャー 星野


西武ライオンズオーダー

1番セカンド 柚木
2番センター 赤田
3番サード 江藤
4番ファースト カブレラ
5番レフト 和田
6番指名打者 中村剛
7番ショート 中島
8番キャッチャー 御剣
9番ライト 栗山
ピッチャー 友光









2006年のシーズンが始まる。

「友光さん・・・」

「黙って打ち合わせ通りにしとけ。お前を一流にしてやるよ」

彼専用の捕手である御剣すら寄せ付けずに一人戦闘モードに入る。御剣を捕手に選んだのには理由がある。

マスクを被る彼にはキャッチャーとしては致命的な欠陥があった。

左利き!?

バッターボックスに入った森坂は伸ばしたミットを見て驚いた。ミットが右手に付けられているのだ。つまり、必然的に利き腕が左になる。


「左利きのサードとキャッチャーはプロで通用しない」


それが定説だ。現に御剣も入団した当初、外野かファーストにコンバートさせられそうになっていた。

「僕はキャッチャーが好きだ。例え左利きの捕手が受け入られなくても」

コンバートを断り、今まで二軍の試合すら出場できずにいた彼を移籍してきた友光がキャンプで拾った。

「右利きだとか左利きだからとかは関係ない。お前が諦めない限りはチャンスがそこにある」

そう言って彼を自分用の捕手に仕立て上げた。自分のキャッチャーにしてしまえば当然、試合に出る事が出来る。それも二軍ではなく、一軍だ。

「今は捕るだけで精一杯だ。でも、いつかは・・・」

振り被った友光に感謝しながらミットを突き出す。


ストラーイク!バッターアウト!


あっと言う間に三者連続三振に斬って取る。

「・・・速いな」

ポツリと呟くレオンが今更ながらの感想を漏らした。

その裏、柚木がトップバッターとして内野安打で出塁する。これで内野の緊張感はいきなりピリピリムードだ。

この柚木、放っておくと際限無く走り回り、一人で点を稼いでしまう。今日の相手が友光だと言う事を考えれば、序盤の失点でも確実に致命傷だ。

「警戒されるのは嬉しいんだけど・・・」

星野が牽制を入れたが、すぐに帰塁する。

そんなんじゃ僕は止まらないよ!

斉藤が返球する間に盗塁を敢行し、二塁を陥れる。その後、赤田を2―2に追い込んでの5球目に放ったカーブを空振らせる。

しかし、それと同時に柚木は走っていた。結果、一死三塁の場面になり、打席には江藤。

「しっかし、元同僚とリーグを変えて再会するはないんと思とったが・・・」

初球はシュート。詰まって内野フライなら幾ら柚木と言えど、身動きは出来ないはずだ。力のないセカンドフライを見ながら柚木は考えた。

「ゴリラみたいな孫悟空・・・もとい、カブレラが友チャンに協力するとは思えない。けど、絶対的有利になれる先制点も魅力・・・」

思考をそこで切る。迷ったら本能に従えば良い。それが自分が自然児と呼ばれるに足る所以だった。

森坂、ホーム!

捕球した森坂も驚いた。内野フライでタッチアップして生還しようと柚木が飛び出してるのが見えたからだ。

本気か!?

慌ててバックホームする。普通に考えれば正気の沙汰では無い。しかし、柚木の場合はそれが有り得るのだ。


セーフ!


当然のコールが響く。星野がカブレラを抑えようと、この失点はあまりにも痛すぎた。

「余計な真似をしやがって・・・」

悪態を付きながらマウンドに向かう友光の眼には、既に一人の男しか写っていなかった。

『4番サード湊、背番号1』

アナウンスが告げた言葉は、二人の開戦の合図だった。









「先輩、湊先輩と友光さんって仲悪いんですか?」

「何だ、兄貴から聞いてないのか?」

既に投球練習を始めていた不破は不思議そうに質問に答えた。

「兄ちゃんは昔から誰に対しても何も言いませんから・・・。ずっと自分の胸の内に溜め込むんです」

成る程と、納得する。そんな兄なら弟が相手でも何も語らないだろう。

しかし、自身の兄が関わってるにも拘わらず、知らないと言うのは些か哀れにも思えた。

「まぁ、あの人から話してくれるのが一番だがな」

意識はグラウンドに向きながらもミットに良い音を響かせていた。

「勝つと約束した。その言葉を裏切る訳にはいかない!」

「俺は貴様を倒す。それだけを楽しみにレベルの低いパリーグに来た」

友光の全身がこれでもかと言わんばかりに捻られる。左腕から放たれるストレートは今までを上回る163キロだ。


ガシャン!


その速球を湊は捉えて見せる。タイミングが合ってる事を示すように真後ろに飛んだ。

「次は・・・前に飛ばす!

再び友光が全身を捻る。球速はさっきと同じ163キロ、コースは一番体感速度を感じるインハイだ。


カキーン!


反射的に友光は打球が飛んだ方向を振り返る。飛ばされる訳はないと確信を持っていた。

それでも打球はフェンスを直撃し、余裕のスタンディングダブル。この打席の勝負は湊の完勝に終わった。

友光は打たれた怒りを出す素振りもなく、後続を三球三振に仕留めてみせる。

「あの野郎・・・次は殺す!

物騒な言葉は四回表に実現した。

―――その前にレオンが打席に立つ。

失敗は二度も繰り返さない!

ストレートのみで抑えられたのはかなりの衝撃だったらしく、この打席でのリベンジを誓っていた。

「・・・5つのコースの内、1つでも特定できれば打てる!」

初球はど真ん中だったが、読みが外れて見逃し。2球目はインロー、これも読みが外れて見逃す。

3球目もインローだがゾーンから離れたボール球。と、ここでようやくある事に気付いた。

「・・・気のせいか?この配球は俺と言うよりは寧ろ―――」

三塁側のネクストバッターズサークルに座る湊を見た。

「彼を打ち取る前準備として投げているとすれば・・・!」

おそらくは左バッターのインローになるアウトローだ。予測が正しければそこに来るだろう。

レオンはそれを待った。すると―――

来た!読み通りにだ

迷わずスイングし、捉える。しかし、並の球威じゃないそれは、バットを折ってセカンドに転がる。

「当てられたか。ちっ、まぁ良い」

湊を睨む。視線を合わせないように足場を馴らしてから構えを取る。

「160キロのストレートは打った。投げるのは・・・あの球しかない」

友光唯一の変化球、“龍”だ。湊はその球を打つ為に特訓を重ねたのだから。

「俺は友光を打つ。それで良いだろ?沙希・・・」

今はいない彼女の名前を呼んでみた。返事は当然のようにないし、友光が初球を投じた為、思考を切った。

ミートしたはずのバットに巻き付き、へし折る。それが“龍”であり、攻略できたのは過去に秋山が一人いるだけだ。

「折られる前に振り切る!振り切る為には・・・」

踏み込んでる足を更に外側に捻る。その間にも尋常じゃない付加が掛かり続けた。それでも尚、足を捻らせる。




そして、遂に・・・




龍は宙を飛んだ・・・




行った〜!湊の同点ホームランだ!友光、遂に打たれた〜〜!!

バックスクリーンに消えた打球を余所に、湊は暫く友光を凝視していた。荒れた息を整えてからゆっくりとファーストへ歩を進める。

「去年までのような後遺症はない。俺の勝ちだ」

「それはどうかと僕は思う」

セカンドベース上で柚木がそう言った。

「友チャンは移籍してきたばかりでよくは知らない。でも、分かる。友チャンは君には決して負けない」

気落ちして崩れるかと懸念された友光だが、5番と6番をたやすく打ち取ってベンチに引き上げた。そして、ベンチで暴れた。

クソが!あの野郎に!それもホームランだと?ふざけやがって・・・」

手当たり次第に物を破壊する姿はまるでゴジラだ。誰もが見て見ぬ振りをする中、柚木は近付くと小声で囁いた。

「認めちゃいなよ。ミナティーも君を倒す為だけに練習を重ねたんだ」

ふざけるな!アイツを認める位なら壁に頭打ちつけて死んだ方がマシだ!


バシャン!


備え付けのジュースを冷やすボックスに友光は頭から突っ込まされた。その光景にベンチは凍り付く。

「柚の字、手前ェ・・・」

「頭、冷えたでしょ?」

悪びれる様子は全くなかった。

「勝つんでしょ?勝ちたいんじゃなくて・・・」

続きを言う直前に、今度は友光自らが水の中に頭を突っ込んだ。

「願望じゃねェ・・・断定の勝つだ!

滴る水を拭おうともせず、友光は再びマウンドに登る。

「理解はしてるさ。アイツが俺を倒す努力をしてるって事ぐらいはな。だが、それでも認めねェんだよ!偽善者が何をしようと!!

今のマウンドには文字通りの修羅が立ちはだかっていた。




[PR]動画