5回裏、ツーアウトから星野が栗山を歩かせた。
「こげなで柚木の足が止まるんかいの」
塁に出したのは不破のアドバイスだった。柚木の前にランナーがいれば自由に走れない。考えてみれば当然の事だ。
「やってくれるね。僕の盗塁を阻止する為に大層な事だ」
赤田を抑えて、結局は0。そのまま試合は1―1の膠着状態で進む。
そして7回、まず先に仕掛けたのはウイングスだ。先頭バッターのレオンに代えて相羽を打席に送り込んだ。
「確かに俺は監督に相羽と言う切り札の引き方は教えたが、切り方までは教えていない。だが・・・」
一理はある。今日の湊ならランナーが一人でもいれば点が取れると踏んだらしい。無名のルーキーを出せば友光が油断する可能性も含んではいるのだろうが。
「無理です」
「何?」
思わずピッチングの手を止めて、不破は陣の方を振り返った。
「あの人には・・・多分、勝てない」
根拠はない。でも、確信していた。
「湊先輩でもあの人には勝てない」
呟く先から相羽は起用に応えて、ヒットで出塁する。
「雑魚が初見で当てやがるとは生意気な・・・」
それでも眼中にない。あるのは唯一人だ。
「認めるってのはその時点で俺の負けだ。でもな、曲げる事も出来ねぇんだよ!」
「分かってる。お前がそんな風に考えてしまう理由を作ってしまったのは俺だ」
今日三度目の初球、インコースの低めのストレートを軽々と掬い上げた。打球は高く上がったものの、ライトポールを僅かに切れた。
完全に打つ手がなくなり、御剣はお手上げ状態だが、友光は委細構わず振り被った。
第9話 吠えろ獅子!!そして奴を・・・
「奴を打ち砕け!!」
その左腕から放たれたボールは、普段なら打者に近付きつつ減速するはずだが、逆に勢いを増し続けている。
それでもミートしようとバットを出した湊だったが、ホームベース直前でボールが突如として食い込んできた。
「何っ!?」
気付いた時には既に遅く、バットは去年と同じようにへし折られ、友光の目の前に力無く転がった。
「右打者―――と言うより赤毛のツンツン野郎専用が“龍”なら、さしずめこいつは左打者専用。
その名も“荒獅子”だ!互いを倒そうと力をつけたのは貴様だけじゃねぇ!!」
走るのも忘れ、立ち尽くしていた。湊は我に返ったように手に残ってるかつてバットだった木片を持ったままベンチに戻る。
「薄々感付いてはいた。俺が“龍”を打ち崩した時点で分かっていなきゃならなかったんだ。でも・・・」
心の何処かでそれを否定したかった。今のあの球は勝つ為に編み出した球ではなく、自分にしか向けられない球である事を否定したかった。
「決まったな」
裏の攻撃を告げるアナウンスを聞きながら不破が投球練習を終えた。
「・・・にしても陣の言った通りになったな」
予感していた本人は飲み物を取りにベンチに行った為にいない。それを良い事に逆に投球練習を始めた都に並ぶような位置に来ると、話しかける。
「都さん、湊さんは・・・」
「太一君は理解ってるはずです。自分がどうしなきゃいけない事ぐらいは・・・」
呼ばれそうな気がしたので不破はそこで話を打ち切った。
ピンチの後にチャンス有りとはよく言うが、今のウイングスは正にそうだった。ランナー二人を出して8番の御剣を打席に迎えた。
『ここまで2三振の御剣ですが、伊東監督は代打を出さないようですね』
友光が完投する事を考えれば出したくても出せないのが実情だろう。
「140キロ台のストレートならもう目が慣れた。伊達に友光さんの球は受けちゃいない!」
見慣れてるボールとは20キロも違う。今まで三振していたのは160キロのタイミングで振っていたからだ。その修正も出来ていた。
『えっ、打った?打球はライト線ギリギリに・・・』
カン!
誰もが「えっ?」と、思った。ボールはグラウンドに戻ってきている。しかし、一塁塁審は手を回していた。
それはポール直撃の3ランホームランだった。
「出番だな」
ダイヤモンドを回る御剣を一瞥して不破がブルペンを出た。この状況で自分に任される仕事は後続、特に柚木を抑える事しかない。
一死ランナー無しでその柚木だ。勝ち越し点を入れたばかりで押せ押せムードのライオンズが手を緩めるはずはない。
「あれを使うか」
天然な性格の柚木が何を待ってるか不破には予測し難い。(と言うか誰にも予測できない)そんな時は持ち球の中で一番良いのを投げるのが最善でもあった。
不破の足が上がる。何の変哲もないサークルチェンジがミットに収まる。次の球もサークルチェンジだ。ただし、球速はさっきより極端に遅い。
「球速が遅すぎて表示されてないよ。あんなの待ってらんないね」
ボヤく柚木に対して不破が3球目を投げる。定石通りならストレートでタイミングを外すのだが、不破は更に裏を行く。
手元で微妙に芯を外すカットボールで凡打に打ち取る腹積もりだった。当てただけの打球が代わったばかりの相羽の守備範囲に飛んだ。
8回の表裏とも無得点。最終回、ウイングスは一人出れば湊に回る打順である。
しかし、それも無意味な期待に終わりそうだった。簡単に打ち取られ、ツーアウトになってしまう。
『3番ショート相羽、背番号2』
「何としても湊先輩に繋ぐしかない!」
打席に入る相羽を友光は鼻で笑う。
「フン、俺のストレートを当てて良い気になってるみたいだがな・・・」
見下すように言って身体を捻る。
「今までのは手加減だ。今から投げるのはあの野郎に投げてるのと同じ、本気のストレートだ」
次の瞬間、相羽はボールを見失った。
「なっ・・・」
ミットはど真ん中から微動だにしていなかった。それでも見えない程に速い。
「本当はこんなに速かったんだ。これを湊先輩は・・・」
打ってる事になる。瞬く間に追い込まれてもどうする事も出来ない。
「何とか・・・何とかするしかない!」
バットを二握り分短く持ち直す。
「殊勝な心掛けだな、オイ。だが、自分の信念を曲げて打てる程、俺様のストレートは甘くねぇ!」
自信満々にストレートを投げる。相羽は全神経をど真ん中に集中した。
バキッ!
バットの折れる鈍い音、球に圧されて尻餅を突く相羽。打球は何処だとマスクを外して周りを見渡す御剣。その二人を友光が一喝した。
「オロオロすんじゃねぇ!心配されるような場所まで飛ばされるか!!」
今度は相羽の方を見ながら言う。
「小僧、本気のストレートに当てたまでは褒めてやる。けどな・・・」
ゆっくりとボールが友光の頭上に落ちてくる。
「今のお前らじゃここが限界だ」
薙ぐようにグラブで捕る。審判のアウトの宣告を聞くと口元を緩めた。
「そうさ、ここまでが限界なんだよ。お前らはな・・・」
呟く友光は信じられない行動に出た。試合が終わってるにも関わらず、振り被ったのだ。
「それ位分かってんだろうが!」
ボールはネクストバッターズサークルにいた湊を狙っていた。湊はその球をバットを使い、寸前で受け流す。
「友光・・・」
「戻ってクソ野郎に伝えろ。今年、俺はお前らとの試合を最優先にして先発する。夢も希望も俺が叩き潰してやるよ」
踵を返して立ち去る友光。湊もまた自分のベンチに退る。
「叩き潰すさ、全てな。フフフ、ハハハ・・・ハーッハッハッハ」
狂気を纏う龍の高笑いだけがその場に響いていた。