「もう8回だ!交代させるべきだろう、普通は」
「まぁまぁ、不破君落ち着いて」
不破が荒れていた。グラブを地面に叩き付けたり、ネットに八つ当たりしてはネットが絡まって身動きが取れなくなっていた。
大体、試合を再び引っ繰り返して逃げ切る体制に入ろうとしているはずなのに自分にお呼びが無いのは幾ら何でもおかしかった。
「やはり龍堂さんは陣君の完投勝利を最優先で考えてますね」
都は確信はなかった予測に今なら頷けた。不破―自分と繋ぐリレーが磐石なだけに、使わない理由は完投狙いしか有り得ない。
「後、2イニング・・・何事もなければ良いんですけど」
その不安は的中してしまう。ズレータは打ち取ったが、松中と宮地に連続ヒットを許した。
『今日4度目の対決です。ここまで3打数2安打と天は陣を打ち込んでいます』
「湊先輩・・・」
「言いたい事は分かってる」
ここが最後の山場だろう。湊と相羽がマウンドに行く。
「陣、奴は歩かせるんだ。次の鳥越を・・・」
湊の言葉を陣は遮る。
「嫌です」
肩で息をしているにも関わらず、勝負を選択しようとしていた。
「お前、自分の状態が理解ってるのかよ!全力でも抑えられない相手なんだぞ?今の体力で・・・」
「自分の体力ぐらい把握できてる!」
今度は相羽の言葉を遮った。
「どうしても勝たなきゃいけないんだ!負けっ放しで降りるくらいならピッチャーなんか辞めた方がマシだ」
「ハァ・・・」
残念そうな溜め息を湊は盛大に吐いた。
「見かけによらず負けず嫌いで頑固なのはどっかの誰かさんと同じだな」
ナゴヤドーム
「師っ匠〜〜、風邪ですか?それとも花粉症ですか?」
開幕に向けた調整を行っていた岩井がクシャミをした。キャッチボーの相手の質問には首を横に振る。
「そう言えば・・・今日、弟ちゃんがソフトバンク相手に投げてますよね?」
「そうみたいだな」
兄は弟の試合に興味無さ気である。
「テレビで見ましょうよ〜〜」
「良いよ、別に」
彼は素っ気なく答えて練習を続けた。
『ファール!またファールです。天、これで10球連続ファールで逃げています』
「ハァ・・・ハァ・・・。いい加減に・・・空振りするか、前に飛ばすか、どっちかに、してくれっ!」
投げた球は一塁側のファールゾーンに転がって行く。この打席だけで15球は投げていた。
「やはり、無理にでも敬遠させておくべきだったか」
説得しても聞き入れないだろうから引き下がった湊だが、相手にここまで粘られるなら話は別だった。
「精神がね、不安定なんですよ。アイツは」
絡まったネットを外しながら不破は都に言った。
「天才的な能力は備えてるし、マウンド度胸も並じゃない。
でも、冷静に投げてるかと思えばすぐに熱くなったりするし、ちょっとした事で緊張して普通は酔わない列車で酔ったりする。
特に奴みたいなライバルが出てくると完全にそっちに気が行ってしまう。どっちつかずな性格ですよ」
右足に続いて左足のネットを外す。
「そうなんですか?だとしたら・・・」
都は笑みを浮かべた。要領を得ない不破がその理由を訊ねた。
「同じですね。あの人も昔から不安定だったんですよ」
あの人―――それだけで不破には誰なのか理解できた。
「大輔君は不安定でもそれを感じさせなかった。でも、陣君には・・・危うさがあります」
ブルペンの壁を隔てた向こうから歓声が聞こえた。二人はテレビ画面を見つめた。その先にはレフトに飛ぶ打球があった。
「レオン!」
相羽が叫ぶ。レフト線ギリギリに流された打球をレオンが追う。
「相羽、お前も走れ!」
湊が中継に走らせる。松中は三塁を蹴った。打球に追い付いたレオンはホームが間に合わないと判断し、二塁に送球する。
その二塁を狙った天はアウトになるものの、同点に追い付かれる。
「また・・・天か!」
疲労は限界点を突破している。それでも龍堂が動かないと言う事は、最低この回は投げ切らないとならない。
「くっ!」
疲れからか、棒球と化したストレートを鳥越にジャストミートされる。
「これ以上やらせるか!」
頭上を越えるかと思われた打球に相羽が必死に喰らい付く。
「しまった!」
一旦はグラブに収めたが、着地の衝撃で落としてしまった。
「相羽・・・くそっ!」
湊が素早く拾ってファーストに送る。判定はかなり際どいが、もしセーフなら再々逆転で勝ちは絶望的になる。一塁塁審は一拍の間を置いてからコールした。
アーウト!
何とか同点で済んだ。しかし下位打線では交代した黄永統を打ち崩せず、今井がフォアボールを選ぶのが精一杯だった。
裏の守備に就く前に湊が龍堂の側に駆け寄る。
「龍堂さん、陣は幾ら指導しようと鍛えようと友光に・・・あなたの息子にはなれませんよ」
言うだけの事を言って、湊はサードに向かう。
既に気力だけで投げてる陣だが、それで抑えられる程ソフトバンク打線は甘くはなく、下位打線でチャンスを作ると左投手に強い大村に回す。
「セカンドランナーの柴原の足だと外野ヒットでもサヨナラだな」
湊が内外野に指示を出す。外野は前進、内野は後退陣形を取らせた。浅い内野ゴロやバントなら満塁を覚悟している。
とにかく、打球を遠くに飛ばされなければそれで良い陣形だった。
「後は陣が低目に投げられるかどうかだな」
それに全てを賭けるしかない。
初球はインコース低目にストライク。球速は130キロ台前半と言うそれまでからしたら有る意味タイミングの取り難い速度だ。
「内野が退き過ぎてるな。試してみる価値はあるかも知れん」
何と、大村はこの場面でバントを敢行してきたのだ。ボールは三塁方向に転がるが、後方を守ってる湊が間に合うはずはなく、陣が処理をする。
結果自体は送りバント成功で、一死二・三塁になる。ここで今度は内野も前進してバックホーム体勢に変わる。
「大村さんもやってたし、狙ってみるか」
川崎もバットを前に出してスクイズの構え。投球と同時に湊と斉藤が突っ込む。しかし、構えのみで川崎はすぐにバットを引いた。
「満塁策は・・・」
「取らないでしょうね。下手しますと松中さんに回ってしまいます。陣君はそれだけは避けないはずです」
2球目も3球目も構えだけでスクイズの様子はない。警戒する間にカウントは1―2になっていた。
どうも臭いな・・・。スクイズの構えでフォアボールを誘発させるのが目的か?湊は次の球だけスクイズ警戒を解いた。
「それを待っていたんだ。ウイングスの内野で一番警戒心の強い湊が後ろに下がるのを!」
川崎がスクイズの構え、それも今回は本気だ。
「陣、外せ!」
慌ててダッシュする湊が陣の視界に入る。
「み、なとさん・・・」
しかし既にモーションの途中だった。指を離せばバットの届く範囲にボールが行く。誰もがスクイズ成功だと思った。
だが、忘れてはいけない。陣は魔王の血を色濃く持っている。瞬間的に外角高目にウエストする事ぐらいはやってのけた。
「まだバットは届く!」
バッターボックスから飛び出して川崎が当てに行く。打球を転がすだけで良かったが、この土壇場で出るはずの無いライトニングショットが出た。
浮き上がったボールはバットの上っ面に当たる。それでも裏目の裏目、小飛球は突っ込んでいた湊の頭上を越えて行く。
「間に合え!」
いや、もう一人打球を追い掛けていた。元々、湊のダッシュに伴いサードのベースカバーに入っていた相羽である。
「ここまで投げさせといて負け投手にさせられるか・・・届け!」
頭からダイブした。巻き起こる砂煙の中で、彼のグラブにボールは―――入っていた。
『捕っているぞ〜!相羽、執念でキャッチした〜〜』
小飛球の間にランナーは戻っていたが、陣にとってはもうどうでも良かった。次のズレータに残ってもいなさそうな全力を傾けるだけだ。
「これで・・・ここで、断ち・・切る!!」
最後に放ったボールもライトニングショットだった。球速はMAXの149まで戻っている。
「アンタチャブルな奴ダ」
「ここに来てあれだけ出すとは俺も思わんよ」
ズレータも松中も感心していた。
「悪足掻きですよ。ウチの黄永統は打てないし、どの道次で決まります」
天がいち早くグラウンドに出る。
「この回、最悪一人出ないと負けだ」
ウイングスも延長に入ったこの回が勝負と決めていた。8回途中からリリーフしている黄永統を攻略しない限りは勝てない。
湊にヒットは期待できるとして、問題はランナーがいないと湊に回ってこない点だ。
そんな事をしてる間にも森坂と山本亮が倒れてツーアウト。出塁はレオンに頼るのみになった。
「小規模のカッターに大規模の高速スライダーの総称、トライスリーか・・・。確かにヤマを張れば天の餌食だな」
かと言って、張らなければ打てない。何とも厄介なバッテリーだとレオンは呟いた。
「また初芝打法か。余程ミートに自信がある訳だな」
天のサインはトライスリーではなく、ストレート。
「頭が完全にトライスリーに行ってる。スライダーと思わせるストレートで十分さ」
その言葉の通り、空振りを二つ取る。さっさと勝負を付けるべくサインを出す。
「3球ともトライスリー待ちか。ならお望み通り投げてやる。ただし・・・」
黄永統が頷く。サイドから投じたのはカットボールでも高速スライダーでもなかった。言わば中規模の通常スライダーだった。
それをレオンは打った。・・・と言うよりも初めからそれしか待っていなかったようにも見えた。
「・・・やはりスリーの名の通りにもう1球隠してたな。あれ以外だったら三振してた」
塁上でそう言った。ネクストの湊が立ち上がると、入ろうとした相羽に声を掛けた。
「陣を勝ち投手にするのは俺じゃない。親友のお前だ」
「えっ・・・」
「ここまで投げさせて負け投手にさせるのは嫌なんだろ?」
頷いた相羽の肩を叩く。
「なら頼むぞ」
打席に入った湊もレオンのように今まで違う打法を取った。右足を高く上げた打法をする選手はウイングスにもいた。
「おい、小金井。お前の打法だ」
厳密に言えば彼の打法ではない。彼も本家の模倣に過ぎないからだ。
「王の一本足・・・天才湊の本領発揮だな」
天の異質な能力も黄永統のトライスリーも湊の前では児戯に等しかった。
「高校、プロと伊達に猪狩や大輔とやり合ってない。それに・・・お前らを打てないでアイツに勝てる訳がない」
センターに弾き返してチャンスを広げた。
「湊先輩が一本足打法を見せた。これは・・・」
何かある、そう直感した。無意味に自分のスタイルを変える選手じゃないし、変えないと打てない投手でもない。だとすれば自分に何かを伝えたいのだろう。
「待ち方はレオンと同じようにストレートとトライスリーにヤマを張る。問題はどれが来るかだ」
トライスリーの選択肢は三つ。それを天が巧みに使い分けている。同じ球種ならタイミングも合わせやすいが、全て微妙に違うから始末が悪い。
「山が外れても打てる方法・・・そうか!分かった。先輩の一本足の理由が!」
相羽は待ちを変えた。トライスリーを三つ全てから小規模カットボールのみに絞る。もちろん、天の看破は頭に入れている。
「バカな奴だ。来い、黄永統。大規模の高速スライダーで仕留める」
「了解アル」
上手からトライスリーを放つ。リリースの瞬間、相羽は前に出た。ボックスの白線ギリギリを右足の踵で踏む位前に出た。
「先輩が一本足を使ったのはギリギリまで待って変化を見極める為。そこからでも先輩なら充分に対応できる。でも・・・」
踏み込んだ足に全体重を乗せ、振り抜く。
「俺にそんな器用さはない。だったら逆に変化する前に叩くだけだ!・・・トライスリーの曲がり始めは全て同じだ!!」
バットと衝突したボールは勢い良く飛び、フェンスに跳ね返される。レオンが生還するにはそれだけで充分だった。
「まだ終わっちゃいないぞウイングス!この裏、打たれた分はきっちり返してやる」
自分に回るならまだ勝機はある。天はそう確信していた。