「・・・持ち球はそれで全部だ」
「分かった。後は打席で確認する」
湊に新月の持つ球種を教えるとレオンはネクストバッターズサークルに座る。黒に近い紫色の髪が風に靡いた。
「大佐・・・か」
試合前に訊ねられた質問を思い返していた。
「元気に決まってる。あの人はそう簡単にはくたばらない」
自分が知る中で最も野球が上手く、最も尊敬できる人間こそが大佐と呼ぶ人物だった。一方の湊はレオンから与えられた情報を整理していた。
「フォークにカットボールか・・・。球速があるのは厄介だな」
メジャー帰りは伊達ではないらしい。中でも一番は不規則に変化するムービングファストのはずだ。
「シーム系は捨てて、フォークに的を絞る」
ストレートと時折来るカットボールをファールし続け、2―2からの6球目にそのフォークが来た。
「くっ!思ったより落ちない!」
新月のフォークは部類としては落ちる方だ。
ただ、レジスタンスフォークとかと対戦してると、目がそちらに慣れてしまっている。湊がショートゴロに終わって打席にはレオンが入る。
「tacitun man、showdownと行こうか?」
「お前の流儀に合わせるつもりはない」
英語を操る日本人とそれに日本語で答えるアメリカ人と言う異様な対決になってしまった。
「・・・ストレートかブレーキングボールのどちらかにヤマを張らないと打てそうにないな」
片方にヤマを張り、逆が来てもヒットを打てるのは湊ぐらいだ。
初球のカットボールは当たらずにワンストライク。
2球目はストレートがインサイドに決まり、呆気無く追い込まれた。
「finish a person offだ!Leonardo!!」
新月の放ったボールはストレートのように思われた。変化球狙いのレオンがスイングを速める。
しかし、途中で軌道が変わり、合わせただけの打球が目の前に転がる。
「カッター・・・。それもリベラクラス・・・の?」
レオンは微妙に違うのを思い出した。この球は自分の恩人が投げている球である。
「サイドワインダー・・・」
「見様見真似だがここまで完成した。最も、Colonelには遠く及ばないけどな」
ピッチャーゴロを新月が処理した。
「持ってるとは思いましたが、あれ程のカットボールは想像してま・・・」
都は隣を見て驚く。さっきまでいたはずの陣が忽然と姿を消している。その代わりに本人の書き置きが残っていた。
「セリーグの開幕が今日だった事を思い出しました。兄ちゃんの試合を見たいのでロッカールームにいます」
追伸には「今日の試合はどうでも良いです」と、書かれてあった。これを読んだ都は溜め息を吐く。
「ブラコン・・・でしょうか。大輔君も大変ですね」
試合は両投手の好投でテンポ良く4回まで終了した。お互いノーヒットで迎えた5回、初ヒットを放ったのはやはり佐藤壮だった。
風に乗せた打球が右中間を割るツーベース。ベニーのセカンドゴロの間に進塁。
次のサブローのレフトフライでタッチアップしてあっさりと先制してしまう。その裏、先頭打者で湊が出た。
『センター前ヒット!打ち取られたフォークを今度は巧く運びました』
「続けてくれば対応は出来る。後は・・・」
レオン次第だ。そのレオンは前打席同様に簡単に追い込まれる。
「サイドワインダー狙いか」
別の球を投げても良かったのだが、新月は敢えてサイドワインダーを投じた。
「・・・・」
前回と全く同じ、アウトコースに逃げて行く。今度はヒットコースに飛ばせる。そう確信するレオンは一瞬だけスタンドにいた人物に気を取られた。
バキッ!
バットが折れた。しかも打球は西岡の真正面だ。6―4―3と渡る併殺打に終った。
「やっぱnoticeされてたか。そりゃそうだ」
結局は3人で攻撃を終える。再び試合のテンポが速くなり、7回まで片付いた。
ここから大事件が勃発するのだが、ロッカールームでテレビを見ている彼は知る由もない。
「兄ちゃん、またノーヒットノーランやってる」
今はテレビに映る兄の姿しか目に入らなかった。
一方のグラウンドは騒然としていた。この回の先頭バッターであるベニーに対して祐希が投げたインハイのボールが抜けて顔面近くを掠めたのだ。
デッドボールになりはしなかったが、ベニーはマウンドに歩いて行く。
ここで普通なら外人と日本人、野手と投手の関係を鑑みれば迎え撃つのは得策ではない。
ましてや祐希は女だ。しかし祐希は何を思ったのか、注意をしようとしただけの向かって行った。
元来から気性の激しい性格だし、1失点に抑えていても味方の援護が無い事にイライラしてたのかも知れない。
周りが止める間も無く、乱闘に発展してしまった。次々と飛び出す両軍ベンチ。
ウイングスサイドは湊と都、ロッテサイドは佐藤壮とキムが宥め役になって事態の収拾に当たる。そこかしこで怒声が響く。
これをチャンスだと思った両ブルペンで縛られていた不破と箕輪は必死に縄を解くと、急いで乱闘現場に駆け付けた。
「絶対ぶっ飛ばしてやる・・・」
「味方でも許さない。蹴っ飛ばす」
人の波をかき分け、目的の人物を探す。二人は見つける事が出来ずに逆に鉢合わせしてしまう。
「箕輪・・・あんたか」
「おチビ、お前に用はない」
ここで目の前の相手と取っ組み合いになってもおかしくないはずだが、残念な事に今日は相手が違う。
「俺だって探してるのはあんたじゃない」
別方向を探そうとしたが、箕輪が何かに気付いた。
「オイ、探してる奴はひょっとして・・・」
「あのノリの軽いアメリカ被れだ」
偶然と言うか、必然の一致だった。それを知ると即席で反新月同盟が結成される。
「肩を貸せ。俺が上から探す」
箕輪の肩に乗って新月を探した。こう言う時だけは自分が小さくて軽い事に感謝する。
「いた!あそこだ箕輪!!」
位置を指差して肩を蹴り、ジャンプした。その勢いでボディプレス、それからバックチョークの連続技に繋げる。
最初、新月には何が起こったのか理解できなかった。面白半分でベニーを唆していたら、急に背中に衝撃が走る。かと思えば首を絞められていた。
「Who are you?」
何度叫んでも相手は答えない。それ所か着弾点を確認した箕輪がやって来てシャイニングウィザードを敢行する。
「やっちまえ!こんなスケコマシなんかいても迷惑だ」
箕輪のラリアット、新月の首に大打撃だ。
「あんな真似して生きて帰れると思うな!」
不破の空中元弥チョップ、これは効果が薄そうだ。散々罵倒と暴行をし尽した二人の首根っ子を湊とキムが掴む。
「何をしている」
温厚な湊が怒っていた。
「箕輪、貴様も貴様だ。年上はあれ程敬えと・・・」
キムも怒っている。同時に始まった説教に周囲の空気と選手のテンションがドンドン冷えて行き、乱闘騒ぎではなくなってしまう。
最終的に二人は審判に突き出されて仲良く退場処分を貰った。思わず乱闘を経験する事になった相羽は思う。
「女の嫉妬も恐ろしいけど、男の嫉妬も充分恐ろしい」
一つの教訓を得たルーキー。一方で様々なプロレス技を食らった新月は調子を崩したのか、その裏に斉藤にタイムリーを浴びて降板した。
代わりにマウンドに上がったのは彼女だ。
「大ちゃんもみのっちもどうしてあんな行動に・・・」
知らぬは本人ばかりなり。最大の原因は後続を断つと最終回の勝ち越し3点タイムリーを呼び込んだ。
「箕輪もサクタも後でお仕置きする必要があるな」
お仕置きの内容を考えていた金英雲が3人で抑えて試合終了となる。
『またやった〜!二年連続の開幕戦完封です』
「流石に兄ちゃんだ。去年はパーフェクト、今年はヒット2本だ」
オマケに3打点も挙げていた。感心してテレビのスイッチを切ると皆が引き上げてきた。
「あれ、不破先輩は?」
唯一いない人間を訊ねると呆れ口調の答えが出た。
「色恋惚けで退場」
陣は試合前のアレを見ていたので不思議と納得した。
その後も着替えながら相羽と話していたら、一番最初に帰り支度を整えたレオンが急いでロッカールームを後にする。
「何事?」
「俺にもさっぱり」
顔を見合わせる二人。そのレオンは何故か球場の観客席に向かって走っていた。
「サクタロー・シンゲツとレオ、良い試合を見せて貰った。乱闘は・・・余計だったけどな」
柚木のような深い藍色ではなく、澄み切った薄い青を思い出させるような髪と瞳をした人物が立っていた。
「ウイングスの試合が見たいって無理を言ったからな。明日の試合からはちゃんと出ないと・・・」
入れ違うようにレオンが観客席にやって来た事を彼は知らなかった。
「くそっ!退場させられるなんて・・・。今日の俺はどうかしてる!」
100人に聞いたら100人ともその通りと答えておかしくない。
球場の外で頭を冷やしていた不破の前にまきが現れた。どうも走って来たらしく、息を切らしている。
「あ、あの・・・大ちゃんに言わなきゃ、いけない事が・・・」
途切れ途切れなので聞き取り難い。不破は落ち着かせるように彼女の肩に手を置いた。
「まき・・・」
深呼吸をさせると、いつになく真剣な声で言う。
「大ちゃんは勘弁な」
ムードぶち壊しの一言だった。この時、レオンが探してた人物が横を歩いていたが気付くはずもなかった。
「それで話って?」
自動販売機でジュースを買うとそこら辺のベンチに腰掛ける。
「えっと・・・その・・・・」
歯切れが悪い。無理に聞き出す訳にもいかず、ジュースを勧める。
「あのぅ・・・・ですね」
それでも話し難いらしく、まだ喋らない。
不破は心の中で「落ち着け、俺」とか「怒る所じゃないぞ」とか「彼女は彼女で必死なんだ」の3つをエンドレスで呟いていた。
20分が経過してやっと前に進んだ。
「実は試合前の・・・」
「俺の目の前でキスした」
冷たく言い放った不破にまきは身体をビクッと震わせる。
「怒って・・・ますよね?」
恐る恐る訊ねた。何せ不破は箕輪と手を組んで新月をボコボコに殴ってしまうような奴だ。冷静ぶってたらそんな行動に出ないだろう。
「怒ってない。・・・君にはだけど」
意外にも冷静な答えだった。更に話を続ける。
「怒っていたのは・・・多分、俺自身にだ。だから君は悪くない」
そう言ってジュースを一気に飲み干す。
「心配しなくても真似は二度とやらない。例え相手がどんなに憎くてもな」
不破は振り向くと、自分の唇をまきの頬に軽く当てた。
「俺は戻るからまきもそろそろ戻れ。じゃないとあのヨン様のお仕置きが来るぞ」
冗談めかして言って立ち上がる。それは嫉妬心に燃える人間の姿ではなかった。
「俺を信じろ」
「・・・うん!」
大きく頷いて反対方向へ歩き出す。
「大人にならなきゃな」
決意を新たにする不破の携帯にメールが送られてきた。
「口だったらあの人と間接キスですもんね。俺も野郎と間接は嫌ですから」
送信者は相羽になっていた。
「覗きとは良い根性をしてるな相羽の奴」
もう怒らない。その舌の根も渇かぬ内に怒り寸前になる不破。
「それとこれとは話が別だ!」
数分後、ボコボコにされる相羽がいた。