歌に例えるなら俺は憂いを帯たブルー、
レオは世の果てに似ている漆黒、
大佐は―――おそらく喜びとしてのイエローだろう
そんな事をマウンド上のアルフは考えていた。それにしても石田が湊を抑えたのは有り難い。
ランナー無しでレオンを迎える事が出来たからだ。
「行くか。この右腕が死ぬ前に」
振り被って左足を高く上げる。かつて同球団に所属していた星野伸之のように。
「・・・来るか。その右腕が死ぬ前に」
小刻みにバットを動かす神主打法は前ヤクルト監督の若松勉のように。
スパン
控え目な音を立てて、ミットにボールが収まる。因みに球速は139キロ。金城がボールを投げ返し、ささやきを始める。
「ぬしぁ、ちぬぐすい」
「・・・酷い訛りだ。出身は南部のテキサスか?」
挑発めいたセリフを無表情で言う。
金城が「ぬぅーやんコラ!」と怒ったが、どの道何て言ったか理解出来ないし、するつもりもない。
「俺とアルの勝負さえ邪魔しないなら好きにすれば良い」
2球目は顔面スレスレに狙ってきたボール球。金城は報復のつもりなのだろうが、平然と見逃すレオンに対しては効果が薄い。
「・・・そろそろだ」
アルフが勝負に出て来るタイミングだ。と、なれば決め球である確率は非常に高い。
放たれたボールはユラユラ揺れ始め、ホームベース付近に来るとその揺れは尋常じゃなくなり、
幾つもに分裂しているように見えた。
「くっ!」
レオンのバットを嘲笑うかのように避けた。ほぼ無回転に近いナックル。まるでそれは・・・
「ヒラリヒラリと舞い遊ぶように姿見せたってな」
蝶が舞う姿に似ていた。更に球速も80キロ台と遅い。
「普通のナックルより遅く、回転もないシュメッターリング・・・。久しぶりだな」
そのシュメッターリングとやらにレオン以下の右打者を牛耳られる。
「成る程。左には石田、右には奴を当てる寸法か」
スタンド観戦の青年はスコアブックにKを書き足しながら呟く。
そこにもう一人、こちらはエンジ色の楽天帽を被った客がビール片手に隣に座る。
「ういーす、買ってきました。つか、真っ昼間からビール呑みつつ仕事って良い身分ですね。金谷のオッサン」
「良いんだよ。それよりさっさと寄越せ」
ビールを受け取り、すぐに飲み干す。楽天帽の男は明らかに呆れている。
「それになんスかこれ。まだ序盤なのにこのスコアブックは最終回まで書き込んでるじゃないスか」
「ああ、そっちはチーム戦力とか見て書いた予想スコア。多分、2―1でウイングスが勝つぜ」
持参のおにぎりを頬張り、楽天帽が言う。
「オッサンの予想が外れた事無いから放っとくけど、ちゃんと仕事はして下さいよ」
「あいよ」
3回は陣とアルフが3人で片付ける。
4回表、村松にセンター前ヒットを許すと、水口も歩かせてしまう。指名打者放棄で3番に入ってる石田が送りバントを決める。
「4番ピッチャー、アルフ 背番号1」
アゲハ蝶の音楽と共に左打席に入る。どことなくレオンに似た雰囲気があるな、と陣は思った。
「3塁にランナーいるし、落ち系は危険。やっぱりストレートを軸にするしかないか」
落ちる球を投げても良いのだが、パスボールやワイルドピッチ等で失点はしたくない。
何故なら投手戦になりそうな予感がしていた。
「取り合えずは様子見で・・・」
外角に外すように指示が出る。要求通りにすると、今度はインハイに高速スライダーのサインが出た。
「おっと」
のけぞりつつも、ハーフスイングでバットを止める。その時の微妙な仕草をスタンドの金谷は見逃さなかった。
「オイ、一騎」
「なんスか?ビールなら買ってこないスよ」
楽天帽を被る青年であり、そのチームではエースを張る水野はパシられる前に拒否を表明した。
「ビールは後だ。今の避け方、おかしいと思わんか?」
「いえ、別に怪しくはなかったスよ」
これだから投手は・・・。そう言いたいのを堪えて、金谷は持参していたオリックスとウイングスの個人データ表を捲る。
五十音で纏めていたので、アルフはすぐに出てきた。
「向こうでの死球箇所、主に腹部・・・違う!向こうでのケガによる離脱経験、打者としてはなし・・・これも違う!向こうでの・・・」
何かを探してるようだが、水野は関係無さ気に陣の方を見ていた。
「見付けたぞ、これだ!一騎、これを見ろ!!」
いきなり大声を出されて、口に入れたおにぎりが喉に詰まる。
流し込もうとしたが、差し出されたのがビールだったので慌てて拒否する。
「ぐふっ!金谷のおっさん・・・俺を殺す気か!
楽天のエースがにぎり飯で窒息死なんて今日び爺さん婆さんでもやらねぇネタ、全然粋じゃねぇ!!」
大人しくしていても地は出るもので、年上相手についつい下町口調になる。
「そこまでさせっからには何か見付けたんだろうな?」
ロクでもなかったら冗談じゃねぇぜべらんめぇ。と、言い足した。
「怒るな怒るな。ここを見ろ」
「なんじゃい!・・・故障歴スか?」
落ち着いたのか、口調が戻る。手渡された資料には打席のアルフの故障歴について記されてあった。
「どこもケガしてねぇっスけど?」
「そう、律儀に全試合出場している。投手が出来るにも関わらずにだ」
「投手が全試合出場は無理っスよ。大助の奴ですら・・・」
水野が金谷の方を見ると、彼はとてつもない早さで頭脳を回転させていた。まるで漫画や小説の名探偵並に速い。
「お前の言った事は正しい。ピッチャーがフル出場なんてのは有り得ない。だとすれば考えられるのは一つだ。
奴は何らかの事情で投手が出来なくなると、直ぐ様打者に転向するんだ。
そうすれば最終的なデータ等には打者としての記録しか残らない。だから奴には故障歴がないんだ」
つくづく敵に回したくない人だと水野は思う。誰も気付かない仕草からアルフが投手しては致命的なケガしている事、
そしてそれを推理したのは並外れたデータ分析能力と観察能力、推察能力を持たない芸当である。
その辺りが金谷がスコアラーとして野村監督に信頼されている理由だろう。
「その証拠に奴はインハイを嫌っている。バッテリーは確かめる為に打席中にもう一度インハイに投げるぞ」
データ表に書き足しを入れ、試合観察を再開した。
「さっきの避け方、少し違和感があった。もう一度攻めて見るのも良いかも知れない」
ここにも気付いた人間がいる。陣はタイムを取り今井を呼んで、インハイ攻めを提案した。
「取り合えず次の4球目をインハイに投げてみます。後はそこからのドロップカーブで勝負しましょう」
追い込めばある程度勝負球を使えるので、その方向性で決まった。
「暴投とワイルドピッチだけは避けなきゃいけないから・・・多少甘くなるのはしょうがないか」
一応牽制球をサードに送る。足元の土を蹴散らし、インハイにストレートを投げ込む。やはりアルフは途中でバットを止めた。
「やっぱりあの人、インコースが苦手だ」
憶測は確信に変わる。後は最初の打席と同じようにドロップカーブで三振にするつもりだ。
「・・・マズイな。あれは撒き餌だ」
レオンが独りごちた。インコースが弱い振りをするのはアルフのよく使う手だと言う事を知っている。
「バカ正直に信じているな。兄と違い、それ程用心深さはないようだな」
アルフの言葉を知ってか知らずか、陣はドロップカーブで仕留めに掛かる。
内角高目のその球をアルフは的確に打ち返す。会心の当たりがライト線に飛んだ。ただし、斉藤のグラブに一直線に。
「何だと!?」
「・・・陣の方が一枚上だったか」
マウンド上で人差し指を周りに向けて、陣がワンアウトを確認させる。
「念の為にボール球にしておいて良かった。ガルシアさん+清原さん以上って言われてなかったら素直にゾーンの中に入れてた」
次の中村を三振で退け、オリックスを無得点で終わらせる。その裏、ピッチャーが三度石田に代わる。
上位4人を担当する彼の前に森坂が呆気なくアウト、山本亮が必死に粘った末にフォアボールを選ぶ。
「カーブかスローカーブ、どちらかにヤマを張らないと打撃フォームが無茶苦茶に崩される・・・」
いつも違い、かなり真剣な表情でバッターボックスに向かう相羽。
石田は投手の質としては猪狩世代は言うに及ばず、水野・不破・成実と言った改革元年ルーキーズよりも下かも知れない。
だが、対左打者と言う制限を付加ければ確実に彼らより上の実力者だ。
でなければ湊・柚木・佐藤壮・北嶋と猪狩世代でも左バッターの多いパリーグで
昨年の対左打者被打率.155の成績は残せない。
「とにかく、二種類のカーブの見分けが着くまではカットし続けるしかない」
ひょっとしたら見分けられる事なんて無いまま終わる可能性がある。それでもやるしか打開策が無い。
サイドからカーブが投じられる。対角線気味に入り、外角へ逃げる球に当てる事が出来ない。
「開幕して8試合を消化しただけだけど、このバッターの特徴は大体掴めてる」
「コイツには打球を引っ張る癖があるさぁ。例え外角球でもライトに持ってこうとするさ。
それじゃあ石田のカーブにゃ死んでも当たらん」
当たったとしてもマグレ、それも内野ゴロが関の山だとバッテリーは確信していた。
ガキンッ!
彼等の予想通りに引っ掛けてサードゴロ。
ゲッツーを取りに行ったが、相羽が一塁に決死のヘッドスライディングで滑り込んだので不成立に終わった。
「ったく、厄介な相手だ。こうも打線としての機能を失ってはどうする事も出来ない」
湊が一人で点を取るにはホームランしかないが、それすら難しい程に石田の二種類のカーブは難敵である。
カーブとスローカーブで十二分に翻弄された後にスライダーで芯を外され、これもサードゴロ。今度はチェンジだ。
「本当に1点もやれない状況になってきちゃたな・・・」
5回表を終えれば裏の攻撃とグラウンド整備で纏まった休憩が取れるので、
それを当てにして金城からのオリックス打線を抑えた。
「・・・ゾクゾクして来ただろ?お前にとったら願ったり叶ったりの展開だしな」
「あたりきしゃりきよ!投手同士の凌ぎ合いとそれを制したの時の勝利は格別よ!」
江戸っ子水野は今にも自分が投げ始めるのではないかと思える程に身を乗り出していた。
「さて、ロッテの新月がメジャーの速球派ならこのアルフはメジャーの技巧そのものだ。どう打ち崩すか見せて貰おうか」
取るべきデータをほぼ取り終え、金谷も二人の対決をジックリと見入る。
初球は高速シンカーが膝元を襲い、2球目は高目のストレート。これは釣り球と言う奴で、見送ってカウントは1―1。
「・・・技巧派なだけにカッターはない。また、肘に負担の大きいシュートはあまり投げて来ない。
狙うのはやはりシュメッターリングか」
唯でさえナックルは打ち難い上に、更にこのシュメッターリングは球速が遅い。
当たれば飛んで行くが、当てるのが問題である。そのシュメッターリングを空振り、追い込まれる。
「レオ、悪いがこの試合は貰う。右腕が死ぬ前に少しでも多く、お前に勝った証が欲しい」
アルフがインローのゾーンギリギリにボールを通した。
ハーフスイングでバットを止めたレオンと捕球した金城が同時に審判を見る。
ストラーイク!バッターアウト
軽く首を左右に振り、ベンチに引き上げた。
「・・・お前の右腕を引き替えにして勝利を得る程、俺には価値は無いさ」
凡才なる自分が非凡な彼に勝てる道理は無い。グラウンド整備に出てきた球場スタッフを見ながらそう考えていた。