第19話
揺らぐその景色の向こう





相変わらずグラウンドではトンボを掛けたり、水が撒かれていたりしていた。

右手でペンをクルクル回しながら金谷は欠伸をし、水野は握り飯だけでは満足しなかったのか、売店で弁当を買って食べている。

「何だ、それ」

「これ?ウイングス弁当ッス。確か名前は『フライングFuji』とか何とか」

白飯エリアが翼を形取り、大っきなナスビに覆われている。オカズエリアは台形のハンバーグに鷹の爪―――

詰まりは唐辛子が乗せてある。ウイングス象徴の翼と一富士二鷹三茄子でも表現してるつもりだろう。

「食えりゃ一緒っスよ」

口の中をモグモグさせながら水野は言う。金谷が今日の試合で得たデータを整理しながら話を続ける。

「本来の目的とは違うんだけどな、あのアルフについて少し癖を見付けた。

奴がウチとの試合で出てくれば応用が効くと思うが、ピッチャーのお前が裏を取ってくれるか?」

「別に良いっスけど?クセなんてありました?」

ナスビにかじり付く水野を軽く無視する。

「奴がナックルを投げる時の足の上がり方が他の球種の時と比べて1cm高く見えるんだが・・・」

「あー、無理無理。そんな微妙な違いを見抜けるのはおっさんだけだけ」

即座に拒否してお茶を流し込む。文句の一つでも言いたそうな金谷を無視して食事を楽しむ。

「ふむ・・・。監督には岩井弟の情報を集める為ならある程度の権限は許されてるんだが・・・」

何を言いたいのか分からなかった水野だが、次の一言は理解出来た。

「埼玉の高校でマネージャーしてるお前のいも・・・」

いきなり金谷の胸倉を掴む。釣り目がちな瞳を更に上げ、鋭い目付きで言い放つ。

「おっさん・・・。喧嘩なら買うぜ?こちとら産まれも育ちも江戸は下町、浅草だ。

火事と喧嘩は江戸の華、華を売られて買わねぇ程腐抜けちゃいねぇぜ!!

「じょ、冗談に決まってるだろ。第一、色仕掛けが出来る程色気は・・・」

言い終わる前に鉄拳が飛んでいた。

ついでに余計な事を言うのはこの口かとばかりに、握力でへし折った割り箸を金谷の口に押し込んだ。

「俺で良かったなぁ。相手が北嶋さんか柳瀬だったら間違い無く飛んでるぜ。コ・コ」

首筋に右手を押し当てた。それが冗談じゃないのが金谷の恐怖を更に駆り立てる。

うっし!グラウンド整備も終わりそうだし、とっとと偵察再開っと!」

ようやく本来の目的に目覚め、水野は震える金谷を脇目に陣を凝視する。

「陣の奴にもシッカリしてもらわねぇと、俺とカズマが目を掛けた意味もねぇからな」

一歳年下を見るその眼は、何処と無く楽し気であった。両チームは0を6個も並べ立て、進展の様子はない。









7回表、先頭の石田を打ち取った時点でマウンドに内野陣と龍堂が集合する。

「球数がそろそろ110を越えるがスタミナは大丈夫か?」

「前回よりは大丈夫です。・・・多分」

6回で既に100球は越えてたし、ペース自体も初登板のソフトバンク戦よりは少ない方である。

他の先発投手と比べてスタミナ消耗が激しい陣にとっては如何に球数、

もしくは消費を抑えたピッチングが出来るかどうかが今後の課題だろう。

しかし、相手バッターを考えればそうも言っていられない。

「アルフォード・グレーデンか・・・。現状、オリックス一の巧打者だろうな」

「今までが凡退していようと侮れませんね」

湊と相羽の言っている事は正しい。3回打席に立って1回ヒットを打てば一流の世界だ。

前2打席凡退してる以上、そろそろ打たれてもおかしくない。

「それに一人出せば金城に回るしな」

ここまで抑えてはいるが、彼も猪狩世代だ。3回打席に立って―――以下同文。

「とにかく、奴さえ打ち取れば金城には回らん。しっかりやれ」

龍堂にゲキを飛ばされ、陣は頷いた。

「とは言われても・・・。あの人、弱点を見せてもそれがブラフって可能性があるからなぁ・・・」

前打席は危うく痛い目に遭う所だっただけに慎重を期さねばならない。初球は高速スライダーを外角に外す。

「アウトコースは最初から除外している。狙うのはあの一点のみだ」

アルフは総じて対応型の多いアベレージ系打者には珍しく、ヤマ張り型だった。

もちろん読みが外れればカットして粘る技術は持っているが。

「次はインローにスクリュー」

これもストライクゾーンを外すように指示されている。要求通り外すが、アルフはこれを強引に流し打った。

これで狙いが内角低目と判明したが、素直には信じる事は出来ない。陣はアウトコースを攻め、2―2とカウントを整える。

「よし、決めた!もう一度インハイでストレート勝負しよう」

ここまでブラフを見せられていると、撒き餌自体がブラフの可能性がある。裏の裏は表と言う奴だ。

ロージンを取ってパタパタさせる。両腕を振り被り、右足を上げた。踏み込み、体重を乗せて全力でストレートを投げる。

インコース低目のストレートこそ、アルフが待っていた球種とコースであった。

流してレフトに押し込んでみせる!

満を持してスイングを始めるが、ボールがそこから急激に浮き上がり高目のボール球と化す。

この試合で陣が初めて見せたライトニングショットだ。

「ライズボールだと?まさか!

アルフは猪狩守がライズ系ウイニングショットを投げられるのは知っていたが、

目の前の投手までそれが可能だとは知りうるはずもない。でも、それが逆に嬉しかった。

未知の敵の未知の球は望む所であった。

「流石はジン・イワイか。だが、こちらも負けてはいられない」

普通ならホップする球に対し、スイングの軌道修正を行い、芯で捉えるのはかなり難しい。

下手をしなくともバットの上っ面に当たって内野フライが良い所だ。

しかし、アルフは驚異的な反射神経でバットスイングの軌道を修正し、ボールを当てた。

打球はウイングスで最も堅い三遊間の頭上を通過してレオンの前にポトリと落ちる。

「初めて見たライトニングショットに当てたばかりかヒットにまでするなんて・・・」

陣のショックはかなりのものだ。許したヒットにしては代償は余りにも大きい。

「マズイな・・・。集中し切れてない」

湊の危惧も最もだ。それに加え、ライトニングショットの投球により、今まで以上にスタミナを削られている。

溜っていた疲労感が一気に陣を襲う。曲がり切らなかった高速スライダーを中村に痛打された。

くっ!

この打球を捕球したは良いが、既に2塁にはアルフが滑り込んでいた。仕方なしに湊はファーストに送ってアウトにする。

「6番、キャッチャー金城 背番号27」

一塁は空いている。今井はベンチを伺って敬遠か否かの指示を仰ぐ。

「敬遠・・・させるべきでしょうね。陣君も限界ですし、塁を埋めた方が・・・」

「いえ、するなら勝負するべきです。今日のオリックスは左投手が得意なバッターを揃えてます。

陣が無理なら池田を出さないと・・・。今の体力ではブランボーも抑えられませんよ」

都の言葉を遮ると、不破はブルペンで投球練習を始めた。

恐らくこの回での出番は無いだろうが、次の8回は確実にマウンドに登らなければならないだろう。

「敬遠か・・・。今の僕の体力じゃ金城先輩には確実に勝てないからしょうがない・・・かな?」

荒く息を吐いて、立ち上がった今井のミット目掛けてボールを投げる。

0―2からの3球目、大きくウエストするはずの球はど真ん中に入る。疲れによる失投なのは明らかだった。

これを打たないでワンは何を打つつもりさぁ!

これを見逃す昨年の打点王ではない。ゆったりした落合のような神主打法で飛ばした打球はレフトフェンスに直撃した。

二死でスタートを切っていたアルフがホームベースを駆け抜ける。

先制点を叩き出したオリックスは尚も続くブランボーを打席に送り込む。

「ここで・・・踏ん張らなきゃ。相手が、誰だって・・・」

崩れたりすれば折角の好投が水の泡になる。残った体力を全て注ぎ込み、全球ストレートで内野フライで抑えた。

陣は重い足取りでベンチに戻る。









「俺はまだ何も出来ちゃいない・・・。陣が一人でマウンドを守っているのに、俺はそれに応える事すら出来ちゃ・・・」

相羽は自分のふがいなさを情けなく思っていた。そしてこの回、三度目の打席が回ってくる。

「あまり思い詰めるな。俺だって石田は打ち難い投手だ」

心中を察した湊が声を掛けても理解した様子はない。

「俺がやらなきゃいけないのは、打って助ける事だ。陣を負け投手のままでマウンドから降りてもらいたくないんだ!

繋ぎのバッティングに徹すれば、湊が何とかするかも知れない。今の相羽はその事にすら考えが回っていない。

「今の彼はどうとでも料理できる。金城さん」

「ああ、後は湊だけさぁ」

バッテリーの対角線カーブに踊らされる相羽。その様子は席を立つ金谷達からも見受けられた。

「行くぞ、一騎。岩井弟はもう投げん。俺は仙台に帰って今日の試合のデータを出す」

例の恐怖から立ち直った金谷が水野に言う。

「最後まで見ねぇんスか?」

「言っただろ?この試合は2―1でウイングスが勝つと」

試合開始前に書いた予想スコアを手渡した。

「それにデータの無い両チームの新加入、相羽・レオン・アルフのデータもこの試合で手に入れた。監督の戦略に破綻は無い」

かつてヤクルト黄金時代を築いた野村ID野球。それを楽天で蘇らせるべく、金谷は動く。

後は古田の代わりとも言えるキャッチャーが揃えば、その強さは磐石になる。

「俺は伊藤智仁さんか川崎憲次郎さんかブロスさんか・・・。誰になぞらえようと、俺は俺の投球をするだけだな」

水野もようやく立ち上がった。グラウンドでは相羽が三振に倒れている。

「待ってるぞ、陣。俺と同じ土俵に上がってこい!それまで俺はチームのエースと昨年の新人王の責務を果たし続ける」

同じ地区の一年先輩の水野は、眼に掛けた元他校の後輩と投げ合う試合を待ち続ける。

グラウンドと観客席では内外で温度差が違う。蜃気楼のように揺らいで見えるグラウンドに背を向け、水野は去って行く。

やけに投手交代のアナウンスが遠くに聞こえるように感じた。




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