ウイングスの投手リレーは予定通りに行われる。陣に代わり、不破がマウンドに行く。

「打線が繋がらない限り、点は取れないか」

左に石田を、右にはアルフを当てるオリックスの策は見事だ。寸断された打線では手も足も出ない。

「寸断された打線なら繋げば良い。それが出来るのは・・・」

自分だけだと言いたそうに今井のミットを見ていた。北川を打ち取り、阿部真を歩かせる。

村松にヒットを許すものの水口をファーストフライに仕留めて、二死一・二塁の状況を作り上げた。

「さて、向こうは動くだろうな。何せ次は石田さんだ」

不破の言った通り、中村監督はベンチを出て代打を告げようとする。それに驚いたアルフと金城は監督に抗議に行く。

「監督！石田を代えるつもりなのか！？」

「アルフの言う通りさぁ。今日の石田なら上位は完全に封じれる」

「お前達の言ってる事は最もだ。だが、余程の事が無い限りは上位に回らんし。

それよりもここで確実に追加点を奪っておくべきだろう」

それでも食い下がる２人だったが、聞き入れられる事はなかった。

ネクストバッターズサークルで素振りをしていた代打の切り札、大西が起用された。

「やはりな・・・これで石田さんは使えない。ワザとピンチになった甲斐がある」

不破がアナウンスを聞いて笑みを浮かべる。

左右共通の投手ならまだ何とか出来ると踏んでいたし、リリーフが出て来ても同点程度に持ち込めると考えていた。

「ただ、この人は左を苦にしてない。打たれて点を取られたら意味がない」

出来ればケガ人の清原さんが良かったとか虫の良い事を考えていたりする。

「初球は・・・」

セットポジションで投げ込んだ球はストレート。それも大胆にインコースの真ん中だ。

大西が慎重派だと言うのを見越しての配球だった。２球目はサークルＦを低目に決める。

球速は１３２キロとチェンジアップ系統にしては速い部類を表示していた。

「どのスピードが出るか未だに投げてみないと分からないとは・・・。

これ程、緩急を付けるピッチングに向かない球もないけどな」

球速版ナックルと言った感じだろう。むしろ、投げてしまった後の配球をどう工夫するかに不破の経験が活かされる訳だが。

「遅いスローカーブをボールゾーンに投げるか、球速の似たカットボールで引っ掛けさせるか・・・」

どちらでも良さそうだが、出来れば最終回で初対戦になるアルフには手の内を晒したくないのが本音である。

「まぁ、さっきと似た速度にはならないはずだ」

サークルＦの連投を決め込んだ。今度は普通の軌道を描いて沈んで行く。

微妙な速度の違いに大西のバットはタイミングが僅かに狂い、平凡なショートゴロに収まった。

「片方は引き摺り降ろした。後は打撃陣次第だ」

オリックスは代打の大西がそのままレフトの守備に就く。マウンドには恐らくこの回が最後になるだろうアルフがいた。

「チームの勝利も確かに大事だ。だが、俺はお前と最後の勝負をしたい」

「・・・・」

そう、この回の先頭打者はレオンだった。いつもと同じように無言で打席に入るレオンは心の中で呟く。

「お前の右腕は俺なんかの為に死んではならないんだよ。それ位理解ってくれ」

元々、彼の右腕―――特に肘の辺りは生来からスポーツをするには適していない。

更に変化球投手も兼ねるようになってからはより一層の負担が掛かっていた。その為、彼の右腕はいつ壊れてもおかしくない。

ドクターや師である大佐からは完全な野手転向を勧められていたが、拒否し続けた。

その理由は一つだ。

「戦友であり、ライバルであるレオ。大佐の投の後継として、打の後継のお前とは戦わなくちゃいけないんだ」

石田に左打者を任せたのも右打者のみを相手にして、球数をなるべく抑える為だった。

「シュメッターリングで決着を付ける！」

「・・・恐らくはシュメッターリングで来るはずだ」

ランダム変化の為、分かっていても捉え難いのがナックルボールである。

初球、２球目とシュメッターリングに掠する事も出来ない。

「蝶を捉えるのはやはり蜘蛛しかないか・・・。使わせてもらう、ギフトシュピネを！」

打法そのものに変わりは無い。しかし、レオンの出す雰囲気は先程までのそれとは全く違う。

言ってみれば巣で獲物を待ち受ける蜘蛛のようだった。

「文字通りの毒蜘蛛・・・。迂濶に投げれば蜘蛛の糸に絡め捕られる」

かと言って投げない訳にもいかないし、シュメッターリングでも抑えられるかは怪しい。

「それでも投げるのはこのシュメッターリングしかない！」

蝶がユラユラと舞って行く。その先に待つのは蜘蛛の巣だと知りつつも。

「今はチームの為、お前を打つ！」

巣の中で餌が掛かるのを待っていた蜘蛛は、蝶をその毒牙にかける。

快音を残して、打球はセンター方向に飛ぶ。そのままバックスクリーンとフェンスの間に落ちた。

「やってくれるな。レオンも」

ベンチで同点ホームランの様を見ていた不破は呟く。とにかく、これで陣が敗戦投手の権利を失ったのは喜ばしい事だった。

その後、下位打線がアルフを攻め立てるが、後１本が出ずに無得点。９回表に今度は不破がアルフと対峙する。

「スイングの軌道すら途中で変える事が出来る程の反射神経の持ち主か。

陣のライトニングショットにまで当てるんだからタチが悪い」

投げる度に球速の変わるサークルＦでも楽に反応して打ち返すだろう。

「ならば、取るべき策は１つだ」

グラブで今井に立ち上がるように指示を出す。

ハッキリとした敬遠は同じ塁に出るでも、決め球をヒットされるよりショックは少ない。

アルフを歩かせると、オリックスのベンチの方をジッと見た。幾らバッターが中村とは言え、最終回である。

バントなら１死２塁で金城なだけに送りバントを何球目に仕掛けて来るか観察していたのだろう。

「向こうは１死２塁なら金城敬遠すると思ってるな。そして、敬遠の時点でスペードのキングを切ってくる」

ダイヤのキングとは清原の事だろう。ケガをしていても、一振り程度なら出来ると不破は踏んでいる。

「すぐに裏の目を出してやるよ」

初球と２球目を外角にウエストするが、中村は構えだけだ。

ベンチからサインがあまり出てない事から、不破はそろそろ仕掛けて来るのを悟った。

「潰すのは・・・クローバーのエース！」

クイックで不破が僅かに足を上げる。中村は最初からバントの構え、アルフが２塁へと向かう―――はずであった。

しかし、アルフは一二塁間の真ん中で立ち止まっている。何故ならあっと言う間にアウトの宣告を受けたからだ。

「ボークスレスレの牽制を送るとはな。ダイスケ・フワを少し甘く見てたか」

一瞬遅ければ確実にボークを取られる様なタイミングで、突如として左を向き、一塁に牽制。

斉藤が森坂に送り、そのまま飛び出したアルフをタッチアウトしたのだった。

因みに足はファースト方向を向いていたので問題無い。

「後はハートのクイーンとキングだけだな」

満足気に言って、中村と金城を牛耳った。ベンチに戻ると相羽を呼び寄せる。

「何だ、今日のバッティングは」

「バッテリーの術中に填ったのは確かです。それについては・・・」

言い訳は聞きたくないとばかりに相羽を睨む。

「点が取れないから焦り、陣が打たれたからそれを取り返そうとして更に焦る。

そうやって悪循環に陥っているのが分からないのか？」

それは相羽も分かってる積もりだ。だが、自分ではどうする事も出来ない。

「・・・俺はお前に試合を決めるような打撃は期待していない。試合を決めるのは、

そう言った劇的な場面に打席が回ってくる選手だ」

言わずもがな相羽の後を打つ湊を指していた。

不破に送り出された相羽が打席に入った時、場面は２死ランナー無しの状況。

ピッチャーは石田の代役として菊地原になっている。

「外角低目にスライダーを投げて欲しいさぁ。それだけでコイツは打ち取れる」

菊地原は頷き、サイン通りに投げ込む。相羽のバットは空を切り、あっさりと追い込まれた。

「試合を決める一発は要らない・・・。不破先輩の言う通りだ」

左投手の外角から外に逃げる変化球を打てない現状は打破出来そうにない。

それならばと、不破に言われたように湊に繋ぐ事だけを意識し、バッターボックスの一番外に移動した。

そこから勢いを付けてアウトローのスライダーを当てようと言うのだが、それを見抜けない金城ではない。

「スライダーの代わりにカットボールで引っ掛けさせる」

菊地原がサインに頷いてカットボールを投げる。相羽がそれに気付いたのは踏み込んで打とうとする直前だった。

「しまった！」

今更バットが止まる訳はない。全力で振り切って、ゴロにならないのを祈るしかなかった。

ガシッ！

と言う音を発したバットに当たった打球は水口の頭上を越し、村松の前に落ちるポテンヒット。

こんな当たりでもヒットはヒット。取り合えずランナーとして出れた事を相羽は喜んだ。

「４番、サード湊 背番号１」

ウグイス嬢のアナウンスにライトスタンドがドーッと言う音と共に湧いた。

敵方のレフトスタンドからもオリックス時代のファンがまばらな拍手を送る。

「仰木さん・・・」

今のオリックスを作り上げたのは故人となった仰木氏と言っても良い。

病魔に侵されながらも指揮を執り、中村紀と清原の入団を死を賭して道筋を付けた。

そして大震災に遭い、流光学園からプロに進んだ湊達５人全員が師とも仰ぐ人だ。

「９６年以来の優勝をあなたの元で達成し、沙希の夢を叶えたかった。

俺は・・・あなたが合併球団の監督に就任した時に残るべきだった」

袖を引っ張り、バットを目の前で１回転させる。それはまるでオリックス時代のイチローを彷彿とさせた。

「でも、いつまでもあなたから夢を与えて貰う子供でいる訳にはいかなかった。

プロ野球選手は夢を与えられるんじゃない、与えなきゃいけないんだ」

菊地原のシュートを打ち返し、鋭い打球がライト線を襲うが、これは惜しくもファール。

「あなたといれば子供の俺が夢を与えられる訳がない。だから離れなきゃいけなかったんです・・・」

昨年のシーズン終了後に仰木監督から戻って来て欲しいと打診された経緯が湊にはあった。

「沙希の為にも、あなたの為にも優勝して見せます！」

不意に構えを変える。

右足を宙に浮かせ、古時計のようにするその姿は見間違う事が無ければまさしくイチローの振り子打法だった。

「天国のあなたに、最後の恩返しを！絶望から救ってくれたあの人の一打で！」

内角を攻め続け、一転して外角のスライダーで勝負するバッテリー。湊は右足でタイミングを取りつつ踏み込んだ。

振り子打法はタイミングで飛距離を出す打ち方である。

更に得意の流し打ちを加えた打球はレフトスタンドに一直線に向かっている。

しかし唯一人、レフトフィルダーだけは仰木氏との繋がりを全く持っていない。故に想いを込めた打球を手中に収めようとする。

「そろそろだと思っていたぞ。タイチ・ミナト！」

アルフがフェンスに背中を預ける格好になる。しかし、角度と自分の能力を計算し、捕球は無理だと判断した。

「ならば、叩き落とすのみ！」

草薙球場のフェンスは結構高い。それでもレオンと同様に常人以上の身体能力を持つアルフはそこを駆け上がった。

後は野となれ山となれと言わんばかりに伸ばしたグラブで、ホームランボールをグラウンドに叩き落とす。

「あの野郎・・・。意外に足が速い！」

フォローに回ったセンターの村松が毒付く。打球が上がったと同時に全速力で駆け出していた相羽は既に２塁を蹴っている。

不破が次の回はおそらく投げない事と都に繋ぐまではまだイニングがある事を含めて、

ここで試合を決めるしか無いのを理解していての行動だった。

村松の返球と相羽が３塁を蹴るのはほぼ同じ。どちらが先に来るか、それが勝負の分かれ目である。

「金城先輩相手のクロスプレーなら間違い無く負ける。下手に足で行くよりは・・・」

頭から飛び込むべきだと判断した。中継の阿部真を介したボールが送られてくる。

ホームベースを足でガッチリとブロックする金城が迎え撃つ。

「狙うのは五角形の頂点・・・そこだ！」

ホームベースが真四角だったなら絶対にアウト。だが、野球のホームベースは何故か五角形である。

その後ろの出っ張りの部分だけを金城のタッチを交い潜った相羽が舐めるようにタッチした。

次の瞬間、審判の両腕から放たれた水平チョップが何度も空を切る。つまりはサヨナラのホームイン。

「いよっしゃ〜〜！良くやった相羽〜〜！！」

ベンチから選手が次々と飛び出してくる。しばらく空を仰いで感傷に浸っていたサヨナラ打の湊もゆっくりと相羽の所に向かう。

「・・・これでしばらくは打者一本だな」

サヨナラ敗けの瞬間をレフトで見ていたアルフがおもむろにそう言った。

フェンスに寄り掛かり、歓喜の輪には参加してないだろうレオンを探す。

「ハルカ・アイバが３塁で止まったとしても、もうレオに対しては投げる事は出来なかった・・・」

それ程までに爆弾を抱えた彼の右腕は消耗し切っていた。

「休ませて治る腕じゃないが、やらないよりは良い。騙し騙し使えばまだ何とかなる」

再びレオンと対決する時までは投手を封印する事を決める。彼はひたすらにレオンに勝ちたかった。

「・・・・」

レオンもまた無言でアルフを見ていた。

「・・・決着は任務が終わってからだ」

アルフに言うように、自分を納得させるように言う。

この時、スタンドで偵察していた金谷の言った通りの結末になった事を誰一人気付くはずもなかった。