第23話
渡り鳥は歌う 最後の燕舞曲を





燕は渡り鳥だ。季節毎に国から国へと移動する鳥である。

この国に止まるのは巣を作り、子育てをするため。

だが、その鳥は1つの場所に6年も滞在まった。


場所の名前は神宮の杜

鳥の名前は五条都


彼女は神宮の燕から霊峰の燕と名を変えていた。

それでもやる事は同じ。


勝利を導くだけだ。









猪狩ドーム


去年、彼女はここで唯一の敗けを喫した。それも“皇帝”と呼ばれるたった一人の選手に。

彼の選手生命を一時的に絶ったのも彼女である。それ故に投げればまた傷つけるのでは無いかと思ってしまっていた。

「私はもう逃げない。自分で作った悪夢なら自分で醒まさないと」

悪夢を振り払えと言ってくれたあの人の為にも。

ウイングスとカイザースの試合が始まった。星野と吉良の投げ合いは一進一退。

中でも高校時代の同僚である“天才”湊太一と“皇帝”河内秀は驚異的なバッティングを披露する。

湊、スリーベースヒット!これで次の打席でシングルを放てば交流戦史上初、

自身としては5度目のサイクルヒットを達成します』

2点タイムリーをスリーベースで飾れば、

文句なーし!河内、レイノルズと高橋由伸の11打席連続安打にホームランで並んだーー!!

2ランホームランで華を添える。中盤に突入した試合は乱打戦の様相を呈す。

「まだ6回裏でしょ?俺の他に都さんしか残ってないのに行けって言います?」

ブツクサ言ってマウンドに上がった不破も打たれる。因みに点数は現時点で12―12と同点になっている。

「この分ですと早い段階から出番になりそうですね」

7回裏、無死一塁でその通りになった。いや、使わざるを得なかったのが本音だろう。

『バッターは連続打席安打新記録を賭ける河内が入ります』

『昨年はサヨナラホームランを打ってますからね。新記録は充分期待できますよ』

解説の声など聞こえるはずもない。都が足場を慣らしてロージンを弄った。

「・・・行きます!」

低く沈めた体勢からボールが放たれる。

「都は本物のグライドスワローを投げれるようになったと聞くが・・・」

河内は知っている。自分を一時的に選手生命の危機に追いやった時の都のグライドスワローこそが最高のボールだと。

「あの頃の威力に戻ってるか確かめさせて貰う!」

インローからゆっくりホップし、アウトハイへ。打者の手元で再びインローに今度は急激に落ちるグライドスワロー。

河内はその軌道を悠然と見送った。

「まさか・・・ここまでの威力が戻ってるとはな。2年目の頃と完全に同じだ」

バッターボックスを外し、スプレーを掛けにネクストに戻る。今日は5番を打つ桜井が何事だと訊ねてくる。

「どうしたんですか?」

「無理だ」

短く言ってスプレーをバットに掛ける。桜井には言っている事が理解出来なかった。

「誰も打てんよ、あの球は。何せ打者の眼神経を上下左右に極端に揺さぶった上であの急激な変化だ。

打てると言う奴がおかしい」

球の終着点で待っていれば打てるとか、そんな生易しいレベルの話ではない。

グライドスワローは左打者のインローギリギリに落ちる。

身体をかなり開いて打たないとバットにも当たらないし、仮にかなり開いて打てば外角攻めの餌食になる。

「ピンポイントでコースを通せるコントロールがある都だからこそ、

グライドスワローをチラつかせつつのストレート勝負が出来る訳だな」

しかし、自分は“皇帝”と呼ばれる身だ。昨年の二冠王の名に賭けても打たねばならない。

「ワンストライクはグライドスワローで取れました。ですが、問題はここからですね」

そんじょそこらのキャッチャーのリードでは河内には通用しない。

彼は一流以上のバッテリーを揃えて初めて対等と言えるバッターだ。

「持ち球の中から待っている可能性が低い球は・・・」

逆に河内がそれを待っているかも知れない。少し悩んで結論を出す。

インコースの真ん中、それもストレートですか!?

今井は驚いた。130台後半のストレートなんて河内からして見ればご馳走以外の何者ではない。

「ただし、ボール0.75個分外しましょう。一個分は見逃されますし、半個分ならスタンドですので」

ボールを0.75分外すと言うのはかなりのコントロールを要する。僅かでも右や左にズレたらお仕舞いだ。

「少々ボール気味だが、ストレートなら頂く!」

神業のようにコントロールされたボールは目的通りの所に行く。

打球は快音放ち、ライト方向。ポールの遥か手前からグングン切れていく。

「今のは打たされたのか。ほんの少し内に入ってれば逆転ホームランだったんだが・・・」

「あれがファールなら勝てます」

どちらが相手をより深く読めるかの勝負は2ー0になった。

「ウイニングショットは・・・」

「決まってる。グライドスワロー一本だ」

それだけは一致している。河内から三振を一番取りやすいのがその球であり、読まれていても変えるつもりはない。

「行きます!」

都の身体が沈む。ゆっくりとしたインローのボール。間違いなくグライドスワローだ。

河内は思い切り踏み込む。予想以上にボールが変化した場合、自分に逃げ場が無くなる事は承知の上だ。

軸足の一本や二本、グライドスワローを打てるならくれてやるさ!

ホップする球はアウトハイから急激にインローに落ちる。それも今までの比ではない。ミットの遥か手前で着地しそうな勢いだ。

「あのままじゃ秀君の左足に・・・」

間違い無く当たる。それはかつての再起不能コースと同じだった。

次の瞬間、今井の視界からボールが消えた。しかし、審判はスイングアウトのコールをしている。

走れ友沢!キャッチャーは捕ってない!!

左足のつま先を抑えて蹲りながらそう叫ぶ。ボールは河内の足に当たって、バックネット方向にイレギュラーしていた。

そうは行くか!

フォローする影が一つある。バックアップに湊が回っていた。大きく逸れる前にキャッチし、2塁に送る。


アウト!


2塁塁審もアウトを宣告した。次の桜井もグライドスワローで三振に仕留める。

「最後の球、今までで最高だったな。・・・燕は悪夢から醒めたか」

それでこそやり甲斐がある。河内は左足を引き摺りつつ、ベンチに引き上げた。









乱打戦で投手がいなくなったのはカイザースも同じである。仕方なしに明日の先発予定の江里口を使った。

その江里口が9・1・2番を抑えると、都もまた付け入る隙を与えない。

迎えた9回表の先頭打者、左バッターボックスに都がいた。

「続投・・・と言うよりは代わりの打者もいないだけですし」

代打も既に出し尽している。打席に入るのはそれこそルーキー時代位までに遡るだろう。バットを二、三度振って打席に向かう。

「さて、どうしましょうか?」

ピッチング優先で打たないか、バッティング優先で打つか。次打者は湊なのでヒット以上は期待できる。

「追い込まれるまでは様子を見ましょう」

心に決めて打席に立つ。初球は猫神も慎重にボールを選択する。二球目三球目とストレートでストライクを取られた。

『江里口が・・・内外野を極端に前進させますね』

都は投手な上に女性。何年も打席に入って無いなら妥当な判断だ。

「恐らくはストレートか決め球のスライダーが来るでしょうけど・・・。不破君の様に賭けをしてみましょうか」

彼女はストレートに賭けた。理由は・・・女の勘とやらだ。

するとぴったりにストレートが来て、打ち返す。打球は前進守備のセンターとレフトの間に落ちた。

「マジかよ・・・」

一番落胆してるのは打たれた江里口ではなく、湊だった。

この打席でシングルを打ってサイクルヒット達成しようかと思ったが、そうもいかなくなった。

なるべく歩いて還れそうな打球にしないとならない。

「まぁ、サイクルヒットなら別の試合にすれば良いさ」

自分に言い聞かせて打席に向かう。記録なんて勝利の付属品に過ぎない。初球から得意のスライダーを捉えた。

うわ〜!行った行った行った〜〜!!湊、サイクルヒットを放棄する特大アーチだー

打った瞬間にそれと分かるホームランだ。バットを投げ置いてダイヤモンドを回る。

「ホームラン・・・本気で勝ちに行くつもりか?」

「ああ、巧打者のままでは友光には勝てない。だから俺は強打者にならなくちゃいけない。過去を本当に振り払う為に」

三塁ベースで一言、二言と言葉を交す。









最終回、9番江里口と1番の松浦を打ち取りツーアウト。楽勝に終るかと思われたが、都は猫神と友沢を歩かせてしまった。

「流石に3イニングス目は疲れるか?」

「いえ、もう一度勝負をしたいんです。さっきはボールが当たりましたし、はっきりとした決着を付けさせて欲しいんです」

間を取ってマウンドに来た湊にそう答えた。

「4番、サード河内。背番号24」

最後の最後に大勝負。去年と似たような展開のこの場面を抑える事こそが、過去を払拭する事だと彼女は思っていた。

「真っ向から俺に読み合いを挑むか・・・。皇帝に二度の失敗はない!

さっきとは違う配球をしてくるのかどうかを河内は考えた。

「普通なら変えてくる。だが、都なら・・・」

続ける可能性は大だ。

「裏の裏の裏の裏まで読まないと打ち取れませんものね」

初球は決めている。セットポジションから投じた球はゆっくりしたストレート。

インローからアウトハイへアンダースロー独特の軌道を描く。

「グライドスワローに見せかけたストレート。つまりは裏の裏だ」

ゾーンに入ってる為、打つならファールにしなければならない。


カキーン!


打球音とほぼ同時にライナーがレフトフェンスに直撃した。

遅いストレートをジャストミートしたとは言え、流し打ちでその打球スピードは有り得ない。

「二度に及ぶ大ケガさえ無ければ、俺以上・・・いや三冠王ですら簡単に獲れたバッターだ」

そう言う湊自身、今の打球に反応すら出来なかった。長短両方を兼ね備える河内こそが最強打者だと思っていた。

「次はスクリューをアウトハイにしましょう。狙いはあくまでグライドスワロー狙いの裏です」

同方向に変化してもグライドスワローとスクリューは別物。それで勘違いしてくれれば良いが、相手は河内だ。

アウトハイから落ちたスクリューを的確に捉えられる。

くそっ!

今度は湊が飛び付く。しかしそれでも遅く、瞬く間に打球は外野のファールスタンドに消えていく。

「見せかける程度ではやはり抑え切れませんね・・・」

前の打席と同じく三球勝負。下手にボール球を投げては河内に考える時間を与えてしまう。

「これで行くしか有りませんね」

都の手から離れたボールはゆっくりとした軌道で進む。

「グライドスワローを投げるしかないはず!」

河内は少ない時間でグライドスワローの打倒法を思い付き、それを実行に移す。

踏み込むのは前じゃない!こっちだ!!

普通はスイング時には前に踏み込むはず。だが、河内はほぼ真横のに右足を置いた。

これなら驚異的な変化に付いて行けるはず―――都がグライドスワローなら。

「この打席、グライドスワローは囮にしか使わないと決めてました。あの球以外で秀君を打ち取ると決めていたのです!」

勝負球はインローのストレートで、読みの裏。しかし河内もストレートに気付き、今のスタンスのまま打ちに行く。

「読みが外れようと直球ならば打ってみせる。それが“皇帝”河内秀だ!

ストレート打ちに修正し直したバットがボールを捉えようとする。

次の瞬間、河内は信じられないモノを見る。失速しているボールが更に地面に向かって落ちて行ってるのだ。

「まさか・・・俺が修正すると見越してスローカーブだと?」

都は頷いた。肝心のボールはバットに触れる事なくミットに収まった。ゲームセットを聞きながら河内は天を仰いだ。

「完全に読み負けだな」

今までこと読み合いにおいては負けた事が無かったが、今日は初めてと言っても良い位に完敗だった。

「勝てる相手ではなかったな、やはり」

ヘルメットを脱いで文字通りの脱帽だ。

「違いますよ。私が勝てたのは秀君が前の打席で左足にボールを当てたから。

あれでほんの数%だけ全力が出なかったから。全力同士でやっていたら分からなかった・・・」

今井からウイニングボールを受け取って、都は皆の所に歩いて行った。









「明日の先発予想は・・・江里口さんがそのまま来るか、2回で降板した吉良がスクランブルで来るか迷う所だな」

録画しておいた今日の試合のビデオを見ながら湊が呟いた。年下連中はほとんど寝たらしく、やけに静かだ。

「喉、渇いたな・・・」

部屋備え付けの冷蔵庫から取り出しても良いのだが、高いので自販機にする。

部屋を出て数分で自販機のある所に着いたが、先客がいた。

「眠れないのか?」

先客はどこぞかの天然水のペットボトルを手にしていた。湊は小銭を入れ、オレンジジュースのボタンを押す。

「ええ、最近は薬を飲まないと満足に寝られませんので」

都は睡眠薬らしき錠剤を口に含み、キャップを外したどっかの天然水で押し流した。

「意外とボロボロなんです。私の内側の方は」

ヤクルト時代は中継ぎ、ウイングスに来てからは負担の大きいクローザーを女性ながらも務めている。

早川あおいが引退したと同様に、都もとっくの昔に限界だった。

「不破君も順調に経験を積んでますし、陣君も次代を立派に担える逸材だとも思います。

私は皆さんに迷惑をならない内に辞めた方が・・・」

そんな事はない!都はまだチームに必要だ」

イッキ飲みして空のオレンジジュースをへこませた。

「これを見てもそれが言えます?」

袖を巻くって腕を見せる。そこには幾つもの注射痕が残っていた。

「飲んでる薬も睡眠薬だけじゃないんですよ?

知り合いの医者からはそろそろ引退めないとガタが来る程度では済まないとも言われてます・・・。

私にはもうそれが耐えられないんです!

「都・・・」

彼女の支えになってやりたい。でも、湊には出来ない。愛する人は一人、そう決めているから。

「済まない、俺には・・・」

「良いんです。それに・・・昔から決めていたやりたい事の内、一つは今日の試合で叶えましたしね」

「秀の件か?」

コクリと頷き、こちらも残りを飲み干す。

「一つの区切りとして、秀君をいつか打ち取る。それが出来たら引退しようって大ケガをさせた時から思ってました」

彼女の意思は相当固い。翻す事は出来ないのを湊は悟った。

「分かった。シーズンが終るまでは誰にも言わない」

「信頼してます」

薬が効いてきたのか、目がトロンとしてきた都は自分の部屋に戻ろうとした。

「都、やりたい事って他にあるのか?」

呆れた口調で当然のように彼女が答えた。

「さあ、どうなんでしょうか?私も一応は女性ですからね」

湊がハッとして気付いた。都も一人の女性である事、料理上手だと言う事を。

「彼女が引退してしまう前にどうしても友光とはケリを付けないとな」

それが彼女に悪夢を振り払えと言った自分に出来る唯一の事だった。




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