陣がサードに入るアナウンスの旨を聞いたレフトスタンドの中日ファンは激怒した。
本職を使う訳でも無く、野手をコンバートさせる訳でもない。
ピッチャー、それもルーキーを使うのだ。その怒りようは最もである。
「僕でも同じ立場なら怒ると思う」
自ら買って出たにも関わらず、陣はそんな事を考えていた。
そうこうしている内に落合からサードを狙えと指示が飛んだのか、渡辺がサードに打球を打ってきた。しかも結構痛烈に。
「よっと」
陣は周りがギャグ漫画のリアクションを取ってしまう程、あっさりと捌いてファーストに送球した。
しかも左で投げるのとほぼ変わらない速度で。
「あっ、ランナーいたからゲッツーを狙った方が良かったかな?」
と、まで言い出す始末である。
「精神不安定な投手の時より、余程安定してるな」
不破はこの程度の守備能力なら湊の代わりは務まりそうだと考え、配球の変更はしなかった。
問題は守備ではない。湊を欠く状態で久遠から3点を取らなければならない。
「敵は久遠だけじゃない。寧ろ・・・」
彼をリードする人にある。ミットとマスクを高々と掲げて「しまって行こーー!」と声を掛けた。
得意のスライダーでカウントを整えさせるとインコースにストレートを要求し、ズバッと三振を奪う。
「確かに阿部がいなけりゃ正捕手だ」
キャッチャー適性が高いのは不破も認めざるを得ない。それでも突破口を開くべくレオンが打席に向かった。
「はいはーい。ちゃっちゃっか終らせるよ、ちゃっちゃっかと」
湊が抜けた現時点ではウイングスで最も警戒を払うべき相手にも委細構わずにこれまで通りのリードをする。
「スライダースライダーストレート。はい、三振」
彼女の久遠へのリードは単純一貫、殆どこれである。単純ではあるが、久遠のスライダーは球界でもトップクラス。
軸に出来る球があると言うのはそれだけでリードもやり易いのであった。
「相手が勝手に裏に回ってくれるんだから楽だよね〜〜」
その言葉が全てを体現していた。そして、アナウンスが4番に入った陣の名前を呼ぶ。
「はてさてバッティングの方は如何程かっ・・・と!」
タイムを取ってマウンドに向かう。特に意味は無いが、これも心理戦の一つ。
自分の性格を知っているなら何か仕掛けるだろうと読むはずだ。適当に話し込んだ後、タイムを解く。
「相変わらずな人だな・・・」
「言うねぇ〜〜。元あかつきのエースで4番様の実力を見せてもらいましょうか」
初球はやはりスライダー。インコース低めの厳しい所でストライクを取りに来た。
師匠と呼ぶ岩井の弟だからと言って、ど真ん中にストレートを要求するつもりはなさそうだ。
「成実先輩の過去を嫌でも喋ってもらいます」
「そんな約束してたわねぇ。最も、レンがバッターで君がピッチャーだったらの話だけど」
オマケに敗けたら強制デートの罰ゲーム付きである。
「仕方ないですね。ウチはともかく、ウイングスは日本シリーズに出てきそうに無いですし。
ちょっちイビツですが、打てたら話してあげましょう」
それと同時にミットにボールが届く。今回もインコース低めのスライダーだった。
「くーちゃん、本気モードでリードしますよ。3球目と4球目はストレートを内と外に散らします」
「分かりましたが、その呼び名は止めて下さい。お願いします」
それでも久遠は要求通りにボールを外す。勝負球の5球目、何が来るか陣は冷静に読んだ。
「普通なら決め球のスライダー。しかし、相手はあの人・・・」
裏が出るか表が出るかは半々だ。こればかりは賭けになってしまう。
「これじゃ分の悪い賭け―――って、不破先輩なら言いそうだ」
それ以前に不破本人はこんなイチバチな状況にしないような気がしてならない。結局、張ったのはストレートのヤマだった。
久遠が振り被り、投じた球は真っ直ぐの軌道を描き外角に。そしてそれは陣の狙い球でもあった。
「やっぱりストレー・・・ト?」
狙うのは右方向、つまりはジルベルトの守る一二塁間だ。
「どうやら上手く引っ掛かったみたいです〜〜」
実は憐が要求したのはストレートではない。そこから曲がり、芯を外す高速シュートであった。
カキーン!
「へ?」
快音が彼女の耳に入った。予定では鈍い音がして打球が三遊間を力無く転がるはずなのに、現実はレフトスタンドに一直線だ。
「忘れてました。久遠先輩には逆方向に曲がるシュートボールもあるって事を」
打球がスタンドインしたのを確認してバットを静かに置く。
マスクで隠してるせいか、憐がどんな表情をしているかは分からなかった。兎に角、ベースを一周する事が先決である。
「正直、脱帽・・・ですね。あの場面であのコースの高速シュートは簡単に打たれるはずがないんですが。
流石はあかつきの4番エースで甲子園優勝しただけはありますね」
しかし、これで負けた訳ではない。次の相羽にもスライダーを痛打されるが下位打線を封じ込める。
そして―――
『行った〜〜〜!ウイングスを突き放す一発、憐が交代したばかりの石丸から左中間に放り込んだ〜〜!!』
打たれた分は打撃でキッチリ返す。久遠の後を羽鳥、岩瀬と繋いで難なくモノにしてしまう。
「ホームランですか?レンのリードミスで点取られたんで取り返したかっただけですよぅ」
そう答えるインタビューの最中でも、憐は陣に向かって手を振っていたりする。
「全くあの人は・・・。でも、例の約束を取りつけたから良しとしないと」
ベンチの中で訝しげに見ているレオンに陣は気付いていなかった。
「・・・件の長崎でインタビューを拒否して福岡に行った日。兄が先発し、彼女が受けていた。
あの日の後の数日間、陣の様子が外面上は変化は無いように見受けられたが、明らかに動揺していた」
前々から陣に何かあるのではないかと感じていたレオンは直感を確信に変える。
「・・・これは仕掛ける価値はあるな」
誰に言うでもなく彼は呟いた。
試合後に適当な場所で憐と落ち合った陣は30分経って、ようやくある事に気付いた。
「ひょっとしてこれはデートと言うんじゃ・・・」
ひょっとしなくてもそうであった。良い歳こいた男女2人が夜中に連れて歩いていたらそう見えるだろう。
その証拠に2人をカップルと見受けた輩が冷やかして来た。
「お熱いね、お二人さーん!」
「黙るですクソガキ。この子の年収以下の分際でレンに声掛けようなんてちゃんちゃらおかしいです。死んで詫びて下さいよう」
満面の笑みを浮かべた憐にそう言われて、相手は泣きながら去って行った。
「憐先輩の本性を垣間見た気がする・・・」
ここは落ち着かないから場所を変えましょうと言われ、為されるがままに付いて行く。
案内された場所は如何にも高級な雰囲気をそこかしこから巻き散らしていそうなフランス料理のレストランであった。
「2名様で予約してた浅間です」
「浅間様でございますね。こちらへどうぞ」
何かトントン拍子で進んでる感じが陣もしない訳ではない。
「と、言うか・・・勝っても負けても初めからこうなる予定だったんだ・・・」
恐るべきは浅間憐だと今更理解する。オードブルが運ばれ、それをモリモリ口にしている間も彼女から話を切り出す様子は無い。
なので、こちらから踏み込む事にした。
「憐先輩、そろそろ本題に・・・」
「あ、待って。もうすぐイベリコ豚のオーブン焼きフォアグラ添えが来るから」
メインディッシュのイベリコなんたらが来てから同じ質問をしてみたが、今度は
「夕張メロンのシャーベット、羊蹄山風を食べてから」
デザートが来るまで延期された。
これでは詐欺か何かだと言い掛けた時にウエイターがテーブルまで来て、「少し時間が掛ります」と告げた。
「困りましたねぇ。食事にかこつけて誤魔化すつもりだったんですが・・・」
やはり、バックレるつもりだったらしい。
「今度からは中華にしましょう。あれは量が多いので何とかなります」
陣はこんな機会は二度と無いから勘弁して欲しいとツッコミたくなった。
「大体ですよ?このレンが暗〜くて重〜い、シリアスな話が似合う女だと思いますか?
いいえ、思いません。本人が言うんだから間違いナッシングです」
何、その反語。それにどうして自信満々に言い切れるのか陣には最早、理解不能だ。
暫くの間、シリアス話をするべきかどうか本気で悩んだレンら意を決したらしく、今までに無い程に真面目な口調で言った。
「あなた、今川国実を知っていますか?」