第26話
血塗られし忘却の一族





空を見上げると、半分の月が登っていた。遠征先の広島は初夏言えども蒸し暑い。

カープを(主に友光が)完膚無きまでに叩きのめしたライオンズは明日、所沢に帰る予定である。

「月は嫌い。他人に頼らないと輝く事も出来ないから・・・」

広島遠征でも余り登板機会の無かった彼女は暇を持て余したのか、宿を出て夜風に当たろうとしている。

「先発の方が効率良いかも知れない。・・・小野寺さんいるし」

松坂に西口、涌井。これに友光までいればクローザーとしての自分の出番は自ずと減る。

尊敬する父に怒られない内に先発転換を監督に打診しておくべきか迷っていた。

そんな折り、見知らぬ土地の見知らぬバッティングセンターらしき建物が見えた。

光が灯いていると言う事は未だに営業中なのだろう。

こんな夜中に仕事熱心な事だと感心した成実は、然程興味があった訳でも無いが、ドアに手を伸ばす。

その先にいたのは自分が良く知る人物であった。









「知りません」

至極最もな反応に憐は嘆息する。

「まぁ、そうですよねぇ・・・。その人知ってるならかなり歳の行ってる方でしょうし。

レンもヒナちゃんのお祖父さんじゃなかったら一生知りませんよ」

ここでようやくデザートであるシャーベット状の夕張メロンが運ばれてくるが、憐は構わずに話を続けた。

「今川国実。祖父の今川国晴が沢村栄治と同期であり、父の国義も野球選手だった彼は国晴・国義と

今川野球一族三代目にして一族中でも最高と評される人物です。その証拠に高卒から西鉄ライオンズ(当時)に入団。

一年目から28勝を挙げる大車輪の活躍、その後もコンスタントに20勝以上を数年に渡って稼ぎ、

稲尾・池永らと野武士三本柱で西鉄黄金時代を形成した名投手―――でした」

「でした?」

憐が過去形で区切るのは間違いではない。ただ、言い方に何かしらの含みがあり、それに陣が気付く。

「全ては1969年です・・・」









「貴方は・・・」

「・・・・」

相手がまるでゴミか何かを見るような冷たい視線を送っている。チームメイトなので、取り敢えず声を掛けてみた。

「友光さん・・・バッティング練習ですか?」

名前を呼ばれた本人は冷たい口調で言い放つ。

「ただのストレス発散だよ。赤坊主とその他大勢相手に18奪三振と完封じゃ物足りねぇ。そんな時はこいつに限る」

マシンから放たれたボールをシバキ上げるとホームラン賞と書かれた的にブチ当てた。

「あんなのを当てるのに苦労する奴のツラが見てぇよ」

昼間になれば嫌と言う程見れるのに・・・的なツッコミを成実は飲み込む。

「この人、いつに無く饒舌になってる。今なら父様の目的を・・・」

ジャジャ馬を飼い馴らすまたとない機会である。

「私の父様を知っていますか?」

それは奇しくも先輩の憐が陣に尋ねた手法と同じだった。









ピンポイントで年代を言われても陣にとっては理解不能で、憐の「本当に野球選手ですか?」的な視線が痛かった。

「黒い霧、ここまで言えば分かるはずです」

「黒い霧って・・・まさか野球賭博!?

それなら記憶の片隅程度に残っていた。

1969年の野球賭博と八百長及びオートレース事件の総称、黒い霧事件。今だもって日本球界の汚点となっている事件だ。

「あれは西鉄と東映の選手が主に永久追放されてるけど・・・」

他には王に背面投法で対抗した事で有名な中日の小川健太郎がいる。

「今川国実も賭博を持ち掛けられてはいましたが、野球一族三代のプライドがそうさせたのでしょう。

きっちり断っています。しかし、他の賭博容疑者が証言したんですよ。『奴も野球賭博をしている』と・・・」

「それは・・・明らかに濡衣じゃないですか!出る所に出れば無実の証明が・・・」

「出来るはずでした。けれども一度広まってしまった虚偽の証言を引っ繰り返すのは流石の今川国実でも不可能でした。

結局は件の証言者と道連れになる形で犠牲になりました」

「犠牲・・・。でも、あの事件はもう時効なはずです!追放後に社会貢献を続けていれば・・・」

池永を例に持ち出す陣に憐は首を横に振って答える。

「ええ、言ってる事は間違いじゃない。そう、社会貢献さえしていれば・・・・」









知るかよ!今川一族の落ちこぼれなぞ記憶する価値もねぇ」

「ええ、そうです。その落ちこぼれとしての烙印を押された直接的な原因を作ったのは貴方の父、龍堂友影氏です」

なら尚更俺には関係ねぇ!

それでもバッティングに支障は無いのか、マシンのボールを引っ張ったく。

「責任を取って下さい。祖父様を殺し、父様を変えた責任を・・・。貴方はそれを果たさなければならない人間のはず!!

知るか!血の繋がった他人の作った責任なんぞ肥溜めにでもブチ込んでやらぁ!!

「どうして出来ないんです!?貴方は龍堂でしょう?龍堂友光なんでしょう!

彼女の悲痛な訴えを友光は無視し続ける。

「私は裏切られた・・・」

成実の呟く言葉の先には続きがあった。









「そう、この世界に!私は・・・・・私を裏切ったこの世界を許さない!

いつか必ず私の子が、私の孫がお前達野球界の人間に復讐する!いや、させてみせる!

それが日本野球黎明期より続いた今川一族三代の執念よ!!

今川国実は臨終の際に呪いの言葉を吐いた。最早、それは執念ではなく怨念と言っても過言ではない。

「そんな言葉を遺言にする人が除名処分を解除される訳はないですね。少なくともレンは解除しませんよ」

「それは・・・」

陣も同意せざるを得ない。

「呪いの言葉は実現されます。彼の子はプロにすらなれず、ならばとその娘が意志を継ぎ―――いえ、継がされた。

そうする事で三代が四代、そして五代目と続く・・・」

「復讐を果たすまでは恐らく永遠に・・・ですか?」

憐が無言で頷く。

「特に彼女―――ヒナちゃんに関しては、親御さんがプロになれなかった事もあってか過酷を極めたようです」









「この・・・裏切り者!

向けられる言葉は既に一方的な言い掛かりに過ぎなくなっている。

それでも友光が彼女の言うに任せてるのには理由が有り気だった。

「可哀想だなぁ五代目。そこまでして親に尽くす価値が何処にある?」

「貴方なら分かってくれるはずなのに・・・」

「だから知らんと言ってるだろ。大体、今川一族の復讐を果たしたけりゃ今川姓でやれよ。

朝比奈成実なんて説得力の欠片もねぇ」

バッティングする手を止め、最もな事を言う。その言葉は父親の姓で復讐しようとする彼ならではだろう。

「最後に良い事を教えてやるよ。どんな奴でも余り信用するんじゃねぇ。

自分を利用しようとしてる奴は特に、だ。盲信が過ぎると俺のようになるぜ」

友光は右手で彼女の肩に触れる。

「この利き腕のようになりたくねぇだろ、朝比奈成実」

「右腕が壊れた時、盲信していた親父に殺されたくねぇだろ、朝比奈成実」

「信じていた人物に裏切られ、信じていた世界が崩壊するように・・・。

足元がガラガラと崩れる音を聞きたくねぇだろ、朝比奈成実!

努気を含み、語調を荒げながら友光は言う。

「悪ィが俺の持つ闇はお前のより深い。たかが野球一族三代の復讐なんぞ取るに足りねぇんだよ」

龍堂友光、

彼の持つ闇は誰よりも深く、誰よりも暗い。

「さっさと目を覚ませ。でなけりゃ・・・気付いた時に後悔するのは手前ェだ」









「幼少時から男の子がやるようなスパルタで指導され、箸を持つよりもボールを持つのが早かったと聞いています。

それに女の子ではなく、男の子として育てられたらしいです」

成実が当初は男性の振りをしてマウンドに上がった事を陣は不破から聞いている。

「なるほど。だから最初はああだったんだ」

「そして極めつけは・・・親御さんによる虐待です」

話の長さ故に手元のシャーベットはいつの間にか溶けて水と化していた。

「球速が遅い、変化球が曲がらない。フィールディングが遅い、すぐにスタミナ切れを起こす・・・。

そんな理由で殴る蹴るの暴行三昧。でも親御さんの虐待をヒナちゃんは黙って我慢してるんですよ。

全部、自分の努力不足と言い張ってね」

「あなたは・・・」

ここまでの話を聞いて、陣は納得出来ない点がある。何故、この人はそこまで知りつつ無関係を装えるのか?

「憐さん、どうして彼女を助けて上げないんですか!貴方が手を差し延べていたら・・・・」

「レンが差し延べた手はもう、振り払われてます。

ヒナちゃんを助けてやれるのは同じ立場に立つ人間か、この話に深入りをしてしまった陣ちゃんだけです」

後は任せたと言わんばかりにウインクをしてみせた。

「頑張って下さい。レンは期待してますから―――って事で!湿っぽい話は終了ですっ」

ようやくデザートに手を付けた憐を尻目に陣が自問する。

「僕に彼女を救えるだろうか?本当はそんな資格も持っては・・・」

「あー、何でシャーベットが液状化現象起こしてるの!?」

シリアスモードを終らせ、元に戻った彼女は陣をいない者と考えているのか、自業自得な結果に腹を立てている。

「ちょっち文句言って来る」

席を立つと厨房へ突撃して行く。そのタイミングを見計らったかのように携帯が鳴る。

『夢にみていた〜〜あの日の影に』

着信がアニソンとかのツッコミを丸投げさせて、陣は電話に出た。相手は相当焦っているようで、内容の半分が理解出来ない。

ただ、最後の一言だけは理解可能かつ陣を焦らせる状況に追い込むのには充分だった。

・・・どうして世界はいつもこんなはずじゃない事ばかり起きるんだよ!!

乱暴に椅子から立ち上がると、憐の帰りも待たずに飛び出した。

「仕方ないからもう一品頼んじゃいました〜〜って、あれれ?」

目の前に座っていた相手が消えた事を不思議に思う憐だったが、両手をパンッと合わせて即座に話題を切り替える。

「ふむ、レン的に盗聴の類は卑怯だと思うんですよ。

近くのテーブルに座って盗み聞きされてる方がもっとマシだと思うのですが・・・。

それに付いて君の意見を聞いてみたくなりますね、レオナルド・ウィンデルさん?」

陣の服に仕掛けられ、知らない間に床に落ちている盗聴機を拾い上げて言う。

「どうせ何処かで聞いているんでしょ、ストーカーウィンデルさん?憐が可愛いからって襲っちゃダメですよぅ」

「・・・誰が好き好んで襲うか。お前みたいな変人」

誰もが言うであろうセリフを口にしつつ、レオンが御手洗い(男子)から登場する。

「何をしたいのかは知りませんが、今度からは堂々と聞きに来て下さい。デート一回で何でも白状してあげます」

随分と安い交換条件だ。と言うか既に一部始終を聞いていたので意味が無い。

「・・・ふざけろ」

当然の反応を返され、落ち込むかと思われた憐だが、液体状のシャーベットを口に流す程の余裕っぷりを見せる。

「またまたぁ〜〜。しっかり調査して、しっかり報告しないと大佐さんが困るんじゃないですか?」

「おまっ・・・どうしてそれを」

レオンの意外な反応に憐も意外な反応を返す。

「あれっ?図星っちゃいましたか?いやぁ〜〜カマは掛けてみるもんだにぃ〜〜」

ニヤニヤと笑みを浮かべる憐は「友人たちの弱み」と銘打たれた手帳を取り出すと、スラスラと書き込む。

「ストーカーウィンデルは某組織が送り込んだ007並の秘密諜報員で、

上司であるボインかつ妹属性を持つ大佐の胸に敷かれている」

色々とツッコミたくなるような内容を書き記し、追加注文のデザートを頬張った。

余談ではあるが、その手帳を買い取ろうとしたレオンは憐に法外な金額を要求され、同僚のアルフに泣く泣く金を借りたと言う。




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