最初、正直言ってやってしまったと思った。
俺を知ってる連中からして見たら、「ガラにも無い事を」とか言うんだろうよ。
考えるより身体が先に動く本能とやらをこんな場面で発揮してしまった事に関しては否定はしない。
こればかりはしょうがないはずだ。
「勇気ある好青年の役なんか演じても何の得にもならんのに」
悪態を付いた俺はゴロンと仰向けになり、夜空を見上げる。
半分だけの月がこっちを見ていた。
「この赤い水、どうにかしてくれ。とてつもなく温い」
周りに溢れ出ていた水を左手で一掬いし、試しに口に含んだ。
思った通り、ねっとりしている上に温くて不味い。これを好物にしている種族の気が知れん。
こんな余計な事を考えていたらまた意識が遠くなって来やがった。
何とか保とうとさっきから試みてはいるのだが、伝達神経が途中で仕事を放棄しているらしい。
「―――ダメだ。完全に身体が冷えて来たし、寝た方が良いな」
赤い海の中で赤い光を待ちながら、俺は眼を閉じる。
「次――やるなら友光さんみたく、圧倒的な身体能力を有する人が良い」
我ながらロクでもない最期の言葉だ。
走っていた。
僕はただ、走っていた。ここに「走るな危険」が貼られていようと、「院内はお静か」に言われようと関係ない。
走らなければならない。
間に合わせなければならない。
一段、また一段と階段を蹴り飛ばすように駆け上がる。目的の階に着くと電話で教えて貰った番号を走りながら探す。
「どうして・・・!僕が見守って欲しいと願う人は・・・いつも!!」
途中で電話をくれた親友がいたけど敢えて無視する。何やら叫んでいたけどそれも無視だ。
「ハァハァ・・・。こ、ここだ・・・・・」
息を切らして辿り着く。目の前に立ち塞がってるのはたった一枚の扉だけ。でもそれは異様に大きく、異常に重そうに見える。
手すりに手を掛けて引こうとしたけどやはり感じた通りに重かった。それと同時に感じた嫌な予感・・・。
「父さん・・・」
僕が唯一覚えている父さんの記憶は鮮明だった。
「父さん・・・」
青いトラックのランプは灯いたまま。真っ赤に染まる文字通りの血の海と、そこで横たわる壮年の男性。
近くでは白色から赤色にお色直しをしたボールが転がっていた。
「僕が悪いんだ。僕が兄ちゃんの試合を見に行きたいなんて言わなきゃ・・・。落としたボールを拾いに行かなきゃ・・・」
震える左手を右手で押さえ付け、意を決して扉を開いた。
「不破先輩!」
陣は肝心な所が抜け落ちている事がたまにある。今回もその1つだろう。・・・病室に入る時はノックをしろ、アホンダラ。
「着替え中に来るな」
そう、俺は私服から白と青のストライプな院内服に着替えている最中だった。
「きゃーーーー」
次の瞬間、女性のような悲鳴が陣から上がった。
「何処の乙女だ」
「スイマセン。気が動転してたので・・・」
パニックになったら乙女化するのか、お前は。
「でも、左手のケガも聞いてたより軽症そうで安心しました」
確かに今はギプスで固定してるだけだからそう見えるだろうな。
「夜ももう遅い。今日は良いからさっさと帰れ」
半ば強引に部屋から追い出した。勿論、廊下にいた相羽を回収させるのも忘れてはいない。
「ハァ・・・」
ドサッとベッドに背中を預ける。
白色で統一された個室、天井には絶叫してる人の顔らしき染み、無意味な花とそれを生けている花瓶。
意識を取り戻した時から右足と左腕は脳に痛みを送り続けている。
これら全てが、自分が仕出かした事が現実である事を認識させた。寮に帰宅中に起こした事故。
バイクを運転中の交差点の赤信号で停車した。
ふと、前方を見れば貧血なのか自分の世界に入り込んでいるのかは不明の同い年位の女性が、
フラフラとした足取りで今にも赤に変わりそうな横断歩道に渡り始めた。
危なかっしそうだとは思っていたが、それは見事に的中した。
彼女が横断歩道のど真ん中で倒れるのと、信号が完全に赤に変わるのはほぼ同時だった。
後は―――
「バイクを降りて、彼女を回収。回収中に泥酔気味のドライバーの車が突っ込んで来て、俺が身代わりにドカーン。・・・か」
一度、そこで回想と思考を切る。思い出しても無意味な話だし、明日の朝になればまた色々と人が来るだろう。
それらに備えて睡眠と言う名の英気を養う事は無意味ではないはずだ。
いつの間にか朝になっていたらしく、窓から差し込んでいた朝日のお陰で快適とは言えないまでも、上々の目覚めにはなる。
ゆっくりと起き上がると、ノックをする音が聞こえた。明らかに一定のリズムで叩いている。
一度で良いにも関わらず、何度も叩く奴は俺の知る限りでは数人しかいない。
「お邪魔しまーーす」
「邪魔するなら帰ってくれるか?」
「あいよー」
よし、スムーズに退室させた。・・・と思ったら再び入って来やがった。
「誰がパチパチパンチのおっさんやねん!」
島木譲二なら死んだ振りのネタが先だと思うのだが、敢えて言わないでおこう。
「で、オーナーがワザワザ一選手に何の用だ」
「失敬な。君の様子を見に来たんだよ。
大体、この病院も僕のグループ傘下だから優先して個室を与える事が出来たんだから感謝してよね」
そうだったな。深夜に担ぎ込まれたにしてはやけに処置が迅速だったみたいし。
「多忙な大学生オーナーが入院患者の見舞い程度の用だけか?」
「随分と棘々しい物言いだね。まぁ、図星だから文句言えないけど」
棘々しいとは失礼だ。これでも十分に敬意は払ってやってるつもりなのだが。
「用件は二つ。嬉しい知らせと悪い知らせ、どっちから先に聞きたい?」
悪い知らせの方は何と無く察知出来ているからさっさと言ってくれ。見掛けに寄らず、ヒマじゃないんでね。
「ヒマじゃん。入院患者の分際で・・・」
だから文句を言う位ならさっさと言えって。
「君が身代わりになって助けた女性だけど、実は最近引っ張りだこの売れっ子歌手でね。
昨日もあの時間まで仕事してて、その帰りだったらしい。親友でアイドルの新堂くんに聞いたから間違い無いよ」
最期の無意味に広い交友関係の吐露は無視する。まぁ、確かにそう言った理由ならフラフラ歩いていてもおかしくはない。
「そんでもって、彼女自身は軽いケガで済んだ。君には折りを見てお礼がしたいってさ」
別にお礼なんて要らないんだが・・・。気持ちだけで充分だが。
「言うねぇ・・・。この女タラシ!」
ちょっと待て。いつ俺が女をタラシたよ。俺はまき一筋だって知ってるだろ。
「さて・・・次は悪い知らせだ」
もういいよ。言わなくても大体理解してるから。
「その左腕なんだけど・・・」
だから分かってるって。そんなに言い難そうな顔をするな。嫌なら俺の口から言っても良い。
「動かない―――――と、言うよりは普通に再起不能だろ?これ」
「・・・・」
やっぱりな。無言なのは逆に肯定の意味だ。
「筋肉から神経までグチャグチャになってて、元通りに修復するのは不可能らしい」
グチャグチャの筋肉繊維って見てみたい気もするな。
レントゲンか何かで見られないのだろうか?的な考えは余りにも不謹慎か。
「・・・いつから気付いてた?」
「意識を取り戻した辺りだな。違和感なんてモンじゃない。明らかに異物が生えてるような感覚だったんでな」
「どうしてそこまで冷静でいられる」
実は全く冷静の状態じゃない。他人にそう見せてるだけで、内心は・・・とても見せたくない。
そんな心中を隠し、いきなり核心を突いた言葉を紡ぐ。
「第一、お前が直接再起不能を告げに来たんだ」
一度そこで切り、息を吸い込んでから俺は続く言葉を言い放つ。
「・・・・・あるんだろ?」
この再起不能と言う最悪としか形容出来ない状況を打破する事が出来る方法が。
「・・・敵わないな、君には」
ややあってから出たセリフは誉め言葉として受け取っておこう。
「確かにあるさ。君が思ってる通り、不可能を可能にする方法がね」
だろうな。無ければお前がここに来る意味は無い。
「さて・・・と」
慣れない右手を使って俺はベッドから立ち上がる。
「どうしても行くのかい?」
ここで行かなければ不破大助ではない。
「行ったとしても完治する確率は低い。分の悪い賭けだぞ」
望む所だ。
「彼女はどうする?君がここから消えれば心配するはずだ」
消えようと消えまいと俺を心配するさ。優しいからな、まきは。
「あーー、もう!どうして君はそんな奴なんだよ!」
悪いがこの生き方を変えるつもりはない。
「ったく!これだから他人が打つバクチは嫌いなんだ」
今回に関して言えば、お前は俺にバクチを打つように仕向けたと思うが。
ポケットに入れていたらしい手帳を取り出すとその中の一枚を破って何やら書き始めた。
「ホラ、この街に住んでる常盤って奴を訪ねなよ。僕の紹介だって言えば最優先でやってくれるはずだから」
やはり持つべき友は異常に広い交友関係を誇る成金オーナーだな。
「屋上にヘリを待たせてある。それを使ってくれ。後、これも!」
「何だこのメモリースティックは?」
「君が助けたアイドルの歌が入ってる。リハビリ中に聴くと良い」
暇が出来たらそうさせてもらう。退院手続きとかはお前に任せる。
「了解。皆、君が完璧な状態にして戻って来るのを待ってるはずだから」
それは当然だろう。不破大助と言うピッチャーはウイングスには無くてはならないセットアッパーだからな。
それ程時間が掛かった訳でもなく、屋上にはすぐ到着した。
強風を巻き起こすヘリに乗り込むと渡された例のメモリースティックを携帯に差し込んでミュージックを起動させる。
聴こえてきたのはややソプラノ音域の女性の声。まぁ、歳相応と言えば歳相応な感じはした。
歌ってる曲のタイトルは“歌月凍夜”と言うらしい。
内容は辛くても前向きにいよう等のありきたりの言葉が羅列している。
ただ、その声だけはどこまでも澄み渡る綺麗な声はどことなく力強さを感じた。
いつもの夜にいつもの月 隣に座るあなたは浮かない顔をしていたね
何があったのか、私は知らないけど・・・
迷っていても 自分の道を信じて
弱くても確かな光がそこにあるから
さあ歩き出そう 不安で凍えた手を繋いで
さあ歩き出そう 夜を越えて朝を迎えに
ひたすらに前を向いている
・・・あなたと一緒に
「こんな感じの曲は俺向きじゃない。だが、そうだな・・・・・・それも悪くない」
小さくなる景色を見つめながら、そう呟いた。