ストラーイク!バッターアウッ!
審判の右手が三度上がり、三振のコールがされた。それだけでスタンドは大騒ぎである。
「やっぱりプロの球は違うな。話にならないくらい速い」
森坂はベンチに帰って言い訳してたが、三振をしたときのスピードガン表示は138キロとプロとしては遅い部類に入るストレートだった。
スリーアウト、チェンジ!
続く2番の朝長がセカンドフライ、3番の清水がピッチャーゴロに倒れて早々と初回の攻撃は終了した。流石はプロの貫禄と言った所だろう。
「湊さんがホームランを打つ以外、点は望めそうにもないな。先制点が入るまで俺がしっかり抑えておかないと・・・」
呟くように空閑がマウンドに向かう。
「で、アレはどうするんだ?」
投球練習を始める直前の空閑に今井が尋ねた。
「状況に応じて・・・だな。投げる時はこっちからサインを出す」
ピッチャープレートの近くを慣らす空閑に頷いて今井はキャッチャーのポジションへ戻った。
プレイ!
投球練習も終わり、キャットハンズのトップバッターが打席に立つ。藤原は昨年、2割8分のアベレージを残している。
「最初は様子見だな」
今井が要求したのはアウトコースに外れるボール球だったが、空閑にしては珍しくストレートが甘く入った。
キィー―ン!
打球は快音を残してレフトとセンターの間に落ちた。
どっちが取るのか迷ってる隙に藤原はセカンドに到達しようかとしていたが、センターが取ってショートに中継した為に諦めた。
『2番、センター比留間 背番号4』
アナウンスが聞こえて左のバッターボックスでバットを構える。
今井の出したカーブのサインに首を振り、空閑は再びストレートをさっきと同じような所に投げた。
カーン!
今度の打球は鋭く三遊間を抜けた。ランナーも進塁して、わずか2球でノーアウト1,2塁のピンチが出来上がる。
「ちょ、どう言う事だよ!サインに首振るなんて打ち合わせと違うじゃないか!」
半分怒ったように今井がマウンドに行くと空閑を問い詰める。
試合前の打ち合わせの段階では基本的に今井の出すサインには首を振らないと言う事になっていた。
「理想的だろ?」
空閑の言った言葉の意味が今井にはすぐ理解出来なかった。
「ここで相手のクリーンナップを抑えれば、そう簡単に得点できないピッチャーだと言う先入観を相手に持たす事が出来る。何事もインパクトが大事だからな」
「だが、ストレートは通用しないぞ?カーブはどうか分からないが・・・」
今井の言葉にも空閑は微笑で答えた。それが何を意味しているのか今度は今井にも分かった。
「まさか・・・アレを投げるのか?」
「アレがプロでも通用するか試すにはちょうどいい機会でもある訳だ」
空閑は今井を戻すとロージンパックを手に取った。
「ここから本当のプレーボールだ」
空閑はセットポジションから投球モーションに入った。
「空閑さん、大丈夫な訳?」
僕は目の前に置かれたピンチを前に葉山に尋ねていた。
「空閑に限ってやすやすと打たれるって事はないはずよ。『先頭バッターは何が何でも出さない、ランナーが出たら相手に早めに打たさない』
って自論を持ってるくらいだし。あの招いたピンチも何か理由ありね」
心配してる素振りなど全く見せない葉山は言った。
「空閑の奴、東応大を主席で出る位計算高くて速いからね。絶対何かあるわ」
それは全くその通りだった。
「何だ?今の球は・・・」
森坂と同じように三振をコールされた向田は首を捻りつつ1塁側のベンチに戻ろうとしたが、次バッターである茂木が声を掛けた。
「おいおい・・・大学生相手に三球三振って情けないぞ?」
数分後、茂木も情けない奴の仲間入りを果たしていた。
『ウイングス先発の空閑、キャットハンズのクリーンナップを2者連続で三球三振に仕留めました!!』
実況が興奮気味に言っていた。確かにアマがプロを抑えるのは見ていて痛快である。
しかし、5番に入っている保土ヶ谷は二人の三振を目の当たりにして危機感を覚えていた。
「二人がストレートで三振・・・。打たれたストレートとあのストレートは違うのか?」
そんな気持ちを抱きながら打席に向かった。そんな保土ヶ谷の気配を空閑も感じ取っていた。
「アレを狙ってそうだな。だったら変化球で入るか・・・」
シュッ!
大きく割れるカーブがインコース低めに決まった。保土ヶ谷は驚いたように空閑を凝視する。
「これではっきりしたな。アレ一本に絞ってる訳か」
投げる必要はないな、と空閑は判断した。そうして投じた二球目は打たれた方のストレートだった。
ストライーク、ツー!
審判の右手が上がる。さっさと追い込むと今井の出したサインに頷き、空閑の左手からボールが放たれる。
フワッ
スパン
決め球は意外にもスローボールだった。呆然として見逃す保土ヶ谷を尻目に空閑はガッツポーズもする事もなく軽快にマウンドを降りた。
「空閑・・・あんた最後相手をナメてたでしょ?」
「そんな事はない。俺はいつだって本気さ」
タオルを葉山から受け取るとそれで汗を拭った。
「大体、ダークネスアローを意識しすぎるから他の球―――特にスローボールには気が回らなくなるんだ」
一通り汗を拭き終えるとタオルをベンチに掛ける。聞きなれない言葉を耳にした不破は思わず訊ねた。
「空閑さん、その・・・ダークネスアローって何ですか?」
興味深そうに聞いた不破に対して空閑は説明口調で言った。
「昭和の怪物、江川卓は知っているな?」
「ええ、知ってます。県予選とかでノーヒットノーランや完全試合を連発したTHE・サンデーやうるぐすに出てくるワイン好きで、
競馬予想が当たらなくて、耳のデッカイ人ですよね」
「そうだ。だったらなぜ、江川のストレートが高校生に打てなかったか考えた事はあったか?」
不破は首を横に振った。
「江川のストレートはスクリュー回転していた。スクリュー回転するボールは初速と終速の差
―――つまり、投げ始めとミットに収まる時のスピード差が少なかったと言われている」
空閑の説明にも熱が入ってくる。
せっかくインテリ大学行ってるんだから野球やるより政治家とかになった方がよさそうだと横で聞いていた葉山は内心ではそう思っていた。
「それは現代で言う所のジャイロボールだったのではないかと俺は推測した。
研究した結果、本物には及ばないものの、かなり近いレベルにあるジャイロボールを投げれるようになった」
説明が長引きそうなので相手を待たしちゃ悪いと思ったのか、湊だけがバッターボックスに向かった。
「それだけではない。スクリュー回転するそのボールにスクリュー本来の変化を与えた。
それが俺のスクリューストレート、ダークネスアローだ。もっともこのネーミングにも深い意味があって・・・」
カッキーーン!
それ以上の説明を阻むように湊がジャストミートした打球が飛んで行った。楽々二塁に到達するスタンディングダブルだ。
「バッターの手元でスクリューのように沈む様が弓から放たれた矢が的の手前で微妙に落ちるような感覚に似ているからアローと名付け・・・」
最早、誰も聞いちゃいなかった。ノーアウト2塁と言う初めて訪れたチャンスにベンチは沸き上がっている。
「斎藤、ちょっと来い」
打席に向かおうとした斎藤を龍堂は呼び止めた。
「いいか俺が帽子を触ったら送りバントだ。何もしない時はホームランを打てのサインだ」
「はぁ・・・」
何か釈然としないまま、斎藤は右打席に入った。そして、振り返ってサインを見た。
「監督、帽子触ってる・・・」
これが高校野球なら当然の行動だろう。いや、プロの試合でも先制点が欲しいこの場面はかなりの高確率で送りバントだった。
「ファースト!」
キャッチャーの威勢のいい声が聞こえた。バントのサインを遵守した斎藤だったが、本人はバントが大の苦手であった。
ファーストのファールフライに倒れてアウトカウントが増えたが、ランナーはそのままである。
「バントの下手な奴にやらせんなよー!それでも監督か〜?」
キャットハンズファンから野次が飛んだ。
「6番、センター笹津 背番号30」
アナウンスに促されて笹津がバッターボックスに入るが、球威に力負けすると4球目をサードの真上に打ち上げた。
ツーアウトでランナーはセカンドベースから一歩も動けない。
「7番、キャッチャー今井 背番号27」
「本当に俺頼みってわけか・・・」
セカンドベース上で湊は溜め息を吐いた。ウイングスベンチを見ると、龍堂を指差した。
「監督、湊さんが指差してますよ?」
2回裏の攻撃に備えてキャッチボールをしようとベンチを出た空閑が龍堂に言う。
湊は右手で自分の胸を2回叩き、サードベースを差した。無論、キャットハンズの選手は今井が打席に入ろうとしていたのでそちらに目が行っていた。
「湊は何が言いたいんだ?」
龍堂は突然のブロックサインに驚いていた。打撃コーチとかを何年もやっていたが正直、選手からサインが出た事は記憶に無かった。
「湊さん・・・。ひょっとして盗塁するって言いたいのではないんですか?」
「ええっ!?」
空閑の発言に龍堂のみならず、ベンチ全員が驚いた。
「多分、この打線じゃ自分が打っても1,2点が限界。ランナーが溜まって自分に回ってくる事も有るか無いかぐらいに思ってるのでは・・・」
空閑の読みはズバリと当たっていた。湊も今まさに同じ事を考えていた。点を取るならオールスターの新庄のようにホームスチールも辞さない構えだ。
プレイ!
そんなベンチの動揺なぞ知る由も無い今井が既に打席に立っていた。