第8話
終盤戦





『1番、レフト藤原 背番号22』

ここで普通ならキャッチャーはタイムを取ってマウンドに行くはずだったが、今井はタイムも取らずにバッターボックスに立つ相手を凝視していた。

「ヤバイな・・・」

ベンチで龍堂が呟いた。葉山がサインを無視して投げた為、今井が怒ってる。

おそらく、まともなリードもしないつもりだろう。そこまで読んで、龍堂は不破を呼びつけた。

「不破、すぐにアップしろ。肩が出来次第、投入するぞ」

はい!

不破は元気よく返事をする。キャッチボールの相手はクールダウン中だったが、非常事態を察した空閑が買って出ていた。

その様子はマウンドの葉山も見ていた。

「私の代わりにおチビちゃんだなんて許すもんですか・・・。ここは絶対に切り抜けてみせる!

負けん気は時として凄まじいパワーを生み出すが、それは諸刃の剣である。気負い過ぎは全く逆の効果をもたらす。

打った〜〜!藤原の打球はセンターの頭上を・・・越えた、越えた〜〜!一人還って来る、二人還って来る!

何と長谷も三塁を蹴ったー、ボールは内野に帰ってきただけ!3−2、3−2です!キャットハンズ、一打で試合をひっくり返しました〜〜!

キャットハンズ寄りの実況が今までのうっぷんを晴らすかのごとく絶叫している。帰ろうとしていたファンも足を止め、応援を再開する。

球場のボルテージはウイングス経営陣の門川兄妹と常に冷静に試合を観察しているバックネット裏の変装二人組以外は最高潮に達しようとしていた。

流石に今度ばかりは内野陣がマウンドに集まってくる。終盤での逆転はウイングスにとって非常に痛い。

「葉山、俺のサインを無視したんだ。交代だよ」

「何で私だけ交代なのよ。だったら今井だって連帯責任で代わるべきじゃないの?

第一、逆転打を打たれたのはあんたがまじめにリードしなかったからじゃないの!」

今井と葉山の言い争いが続いている。その間に不破のアップは終了した。後は龍堂が審判に交代を告げるだけだった。

「マズイね〜、非常にマズイね〜〜」

ウイングスに賭けていたキャットハンズ帽は面白い物を見つけた子供のような笑顔でマウンドでの言い争いを眺めている。

「フン、これでこの後を0に抑えたとしても最終回のトップバッターの太一を敬遠すれば終わりだな」

巨人帽も冷静にそう判断する。だが、その時マウンドで異変が起きていた。


パンッ!


乾いた音が響いた。と言っても、盛り上がってるスタンドにはそれが聞こえたか分からない。

客観的に試合を観戦していたバックネット裏にいた変装二人組は一部始終を目撃していた。

「湊さん・・・」

呆然とした声で今井は湊の顔を向いている。その顔は鬼の形相と言っても過言ではなかった。

そして湊の視線の先には葉山がいた。こちらは頬の片方が赤くなっている。

「いきなり何す・・・」


パンッ!


葉山の問いを遮るように湊はもう一度乾いた音を響かせた。湊は何のためらいも無く葉山の頬を二回叩いたのだ。

「この試合はお前一人のものか?もしそうだったら俺は今すぐグラウンドを去る」

出たのは突き放しの言葉だった。その間に龍堂はどこかに電話をかけている。

「お前一人のストレート一本で投げると言うワガママでチームにどれだけ迷惑を掛けたと思っている」

・・・っ!

葉山は反論すら出来ていない。それは湊が言っている事が正論に違いなかったからだ。

「葉山、チームの事を考えろ。この試合は幸い、残りの攻撃は一回だけ許されているからいいような物だ。これがシーズンだったら二軍落ちだぞ?」

湊の説教が終わりにさしかけたのを見て、龍堂は投手交代を告げた。ただし、口から出たのは明らかに「ふわ」と言う発音ではなかった。

『静岡ウイングスピッチャーの交代をお知らせします』

場内アナウンスはそこで途絶えた。代わりに大音量で音楽が聞こえてきた。

「これって・・・T.M.Rの新曲じゃん!

イントロを聞いた不破は即座に曲の正体を見抜いた。投手交代が告げられているので葉山は既にマウンドから降り、ベンチに引き下がっている。

『ピッチャー葉山に代わりまして池田貴史。ピッチャー、池田 背番号15』

大音量に押されながらもウグイス嬢が何とか言い切る。紹介が終わると同時にライトポールの真下にリリーフカーが出現した。

白と青で塗装されたリリーフカーは何かを明らかに意識している。

あっけに取られる観客をバックにリリーフカーを自ら運転してきた男はセカンドベースの背後を通過し、三塁側のファールゾーンに車を止めた。

そして、そのまま三塁ベンチにやってきた。

タカシ・イケダ少尉、ただ今到着しました!

バシッと敬礼までする。見る人が見たら黒と言うより紫に見えるかもしれない髪を帽子で隠すとマウンドに向かった。

この頃にはT.M.Rの入場曲も終わろうとしていた。

「相変わらずだな」

マウンドに残っていた湊は池田に話し掛けた。

「これは、これは・・・“神戸青波の鷹“こと湊太一大佐ではないですか。お久し振りです!」

また敬礼ポーズだ。さっきからどう考えても口調がおかしい。球場内に再び音楽が流れる。今度はT.M.Rではなかった。

「今度は玉置の新曲?あの人、もしかして・・・」

「もしかしなくてもそうだ。パワフルズの―――いやNPB界一のガン○ム狂の池田とはよく言ったものだよ・・・」

不破も空閑も呆れ顔で見ていた。葉山が一人だけどん底の精神状態だったので見ていなかったが。

「あれがパワフルズをクビになった理由って分かんないかなぁ・・・」

セリーグの恥さらしめ・・・

悠々と投球練習を行う池田を見ながら変装二人組は同じ感想を漏らしていた。

「くっくっく・・・」

呆然とする観客の中で、唯一シーズンでの池田登場における正しいリアクションを取っている男がいた。

誰であろう、ウイングスオーナー代行の政明である。

「お兄様、もしかして・・・」

「ああ、これが狙いで獲った。こんなパフォーマンスがあればそれの目当てでくる客もいるだろうな。

それにしても試合までに契約が間に合うとは思わなかったな」

集客とそのファンサービスの為には何でもする高校生、それが政明だった。

客を呼べるならパフォーマンスが行き過ぎた感のある選手だろうが何だろうが獲るのが政明流でもある。

「うっしゃぁ!連合の奴らには一回たりともランナーとして出させてやるかよ!」

連合じゃなくてキャットハンズだよ・・・。と、全員が突っ込みたくなったのは言うまでも無い。









『スリーアウト、チェンジ!』

予告通り、池田は対戦バッターを全て内野ゴロに仕留め、これ以上のランナーを出さなかった。

そして試合はいよいよウイングスの最終回の攻撃を迎える。

『キャットハンズ、ピッチャーの交代をお知らせします。三村に代わりましてピッチャー、あおい。ピッチャーはあおい 背番号01』

スタンドがドッと沸いた。今季、セットアッパーからクローザーに転向し、15セーブを挙げた日本プロ野球界初の女性選手を投入してきたのだ。

ほとんどがキャットハンズファンの観客達は先程とは逆に勝利を確信しているかのようだった。

「なるほど・・・。猪狩世代には猪狩世代・・・ってね」

キャットハンズ帽の男が呟いた。現在、日本のプロ野球界の頂点に君臨しているのは「猪狩世代」と言うカイザースの猪狩守を筆頭とした選手達である。

他球団の猪狩世代出身者を抑えるために各球団の監督が口を揃えてこう言う。

猪狩世代には猪狩世代で対抗する

猪狩世代を抑えるには猪狩世代の出身者を当てるのが一番だ。例に出さずとも湊に対し、同じ猪狩世代であるあおいを当ててきたのは当然とも言える。

「あおいは俺の性質を良く知ってる・・・。だが、それを曲げるつもりは毛頭も無い」

先頭バッターでの湊は初球をフルスイングする。それは追い詰められ、ノーアウトのランナーが欲しいこの場面でも変わらない。

いや、彼の内に秘めるプライドがそうさせているのかも知れない。


シュッ!


スローボールだ!貰ったぁぁ!!

打ち気のバッターのタイミングを外すにはスローボールが一番である。湊もあおいもそれは分かっていた。


ククッ


何っ!?

湊のバットが大きく風を切り裂き、ボールはミットに収まる。

お互いに予測していたからこそ、あおいが投げたのはスローボールに見せかけたカーブだったのだ。

「終りだな。今までのスタイルを捨てない限り今のあおいを太一が打つ事は無い」

巨人帽は溜め息混じりに言った。その言葉通りに、2−1と追い詰められた。そしてその4球目、誰もがその球を予想していた・・・。


フワッ


出た〜〜!あおい必殺のマリンボールだ!湊のバットが空を切った〜〜!

最後はやはりマリンボールだった。湊としてはこの打席での配球は初球のカーブ以外は全て読みが当たっていた。

しかし、ヒットが打てなかったのはやはり初球のカーブの空振りが尾を引いていた。

「あのカーブを予測する、もしくは見送れば展開は違ったかもしれない」

「そうだな、太一に最終回であんなバッティングをさせざるを得ない状況が今のウイングスの選手事情を物語っているな」

湊の三振で3塁側のベンチは絶望感が漂っていた。次はノーヒットの斎藤と笹津である。期待をしろと言うのがおかしかった。

あーっ、試合が終わりかけてる!

「何やて?」

その時、ダグアウトの方から選手が走ってきた。背番号は4と33だ。

「あんさんがバスの降り場所間違えるからや!」

「ハァ〜?人のせいにするなよ。大体、登録名変更で試合に遅くなった奴に言われたくない。プロじゃ4年先輩だからって調子乗るな!」

言い争いをしつつもベンチに到着した。関西弁じゃない方が龍堂の方を見る。

「龍堂監督、間に合いましたか?」

「ああ、状況は大ピンチだがな」

二人は同時にバックスクリーンのスコアボードを見ていた。

「監督はん、代打ワイや!猪狩世代の謳い文句は伊達やないトコ見せたりますわ」

許可も取らずに湊のバットを借りるとベンチを飛び出す。この関西弁で流れを変える事は可能なのかと言う変な感覚がベンチに充満していた。




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